2011年3月14日月曜日

大震災

未曾有の大震災をまのあたりにし、
大きな衝撃の中にありますが、
被災した方々、救援に当たっている方々、間接的に影響を受けている多くの方々へ、
一刻も早い救出、
安否の確認、
ライフラインなど安全な生活の復旧を、
心から祈ります。

以下、メンタルケア関係の情報が入ってまいりました。


日本トラウマティックストレス学会:大震災支援情報サイト
http://jstss.blogspot.com/
大規模災害後の心理支援の基本事項、前田会長の声明など


心理教育家族教室ネットワーク:メーリングリストからの情報
(代表幹事 後藤雅博先生が、新潟の震災での支援経験をもとに、以下をご助言)
1)最初は「こころのケア」より、第一に医療継続(抗精神病薬、抗てんかん薬の継続)と地元精神科病院への支援
2)医師会、保健所、市町村保健師(地元健康センター)、診療所など地元医療保健機関との連携
3)避難所などを回る場合も、最初から「心のケア」「PTSD」などで入らない。まず熱や風邪引きなど身体をていねいに。
4)支援者の支援(バックアップ):不眠不休で活動している地元支援者の健康管理
5)「今起きている症状(不安、不眠、パニック、絶望や昂揚)のようなことは当たり前の反応です」という心理教育が重要。基本的に地元の負担にならない支援が求められます。

そのためには
①地元に迷惑をかけない装備(自力でチームを維持できる食料、水、テント、できれば移動手段(車)、燃料、通信手段を持つ)でいくこと
②多職種チームでの編成(第一陣は災害支援に経験のある医師、看護師、保健師、PSWあるいは事務職員)でいくこと
③地元のスタッフや行政で不足のことは多々ありますが、絶対に批判(「もっとこうした方が」という、よかれと思う助言も含めて)をしないこと(地元関係者者の方が、ずっと足りないことを感じています。)
④支援チーム同士、地元スタッフとの現場ミーティングは早いうちから定例で行うこと(役割分担をすることと、デブリーフィングの役にも立ちます)


大規模災害におけるトラウマの理解とケア:togetter
http://togetter.com/li/111363


個人的な気持ちですが、
救援や救助にあたっている消防や自衛隊などの関係者、電力会社や原子力発電所の関係者、交通関係、行政関係などの方々、ご自身やご家族が被災者でもあられる場合が多いのではないかと、心配しています。
目の前のことを必死で取り組んでいる方々に心から感謝し、メディア含めて決して足を引っ張ったり批判ばかりすることなく、私たちができることを一つでも協力し、少しでも解決的に、支援につながる心持ちで向き合うべき時ではないでしょうか。

2011年3月9日水曜日

閑話休題 映画時評

このところ堅い内容が続いたので、
久しぶりに映画の感想などをつづってみたい。


「毎日かあさん」(2010)
家族が大変気に入っている漫画で、このたび映画化されたとのこと、久々に一緒に観劇した。
原作漫画よりもハードな内容で、アルコール依存症に陥った戦場カメラマンと家族の闘病生活記、ともいえるだろう。
トラウマやアディクションのすさまじさを、「笑い」が少しだけ緩和してくれる。
子どもたちの演技がずいぶんナチュラルだったが、エンドロールとともに流れるスナップショット(主演男優撮影)からも、現場の良い関係性がうかがえた。
印象に残るシーンに、妻が身重の時、公園で夫が、おもちゃのピストルで遊んでいる他の子どもから、本物のピストルと思い込んで取り上げてしまう場面がある。
同じような年代の子どもが、拳銃で死んでいく姿を、リアルに回想する夫。
怖いものを見るように抗議して去っていく、その子の母親。
「もうこの公園にはこれないね」と冷静にいう妻。
いまも世界のどこかで、こうした悲劇は起きているのだろう。


「ハートロッカー」(2009)
テロとの戦いの真実を、ドキュメンタリータッチで描いた「名作」、
今ここに、その戦場を体験しているような、体の芯がむずむずと震える、そんな力がある映画だ。
冷たく、どこか熱く、怖くて、あきらめにも似た、マヒするような、乾いた景色。
冒頭に、「戦争は依存する」というテロップが流れる。
兵士たちの会話や態度が、ナチュラルでリアルなだけに、インパクトが強い。
爆弾処理に静かに取りつかれる主人公は、ディアハンター(my favorite)でクリストファー・ウォーケンが演じた、有名なRルーレットのシーンを彷彿とさせる。
帰国したアメリカのスーパーには、豊富な食品が積み上げられており、イラクとは別天地だ。
小さいわが子と遊ぶ彼は、子どもの頃に興味のあるものはだんだん色あせていく、と語りかける。
そしてまた、新たな戦場で、特殊な服を着て、爆弾を処理する。


「プレシャス」(2009)
これは上と違った意味で、まさしく戦場の映画。
ハーレムの黒人の女子、16歳、2度目の妊娠、中学を辞めさせられる。
義理父からの性虐待の被害者で、母親からの心理身体虐待も続いている。
第一子はダウン症だが、引き取れずに祖母が育てている。
解離とも言える、白昼夢だけが救い、そのファンタジーは見るものも救ってくれる。
母は福祉のお金を取るために、彼女に様々な偽装をさせる。
食事を作らせ、食べ物を強要し、暴言を吐く。
学ぶことへの萌芽を、あきらめと憎しみの力で押しつぶす。
しかし、ロールモデルとなる女性教師や同じような逆境にある友人と出会い、第2子を出産し、施設で生活しつつ、彼女は次第に自立していく。
母が虐待の歴史を語る場面は、圧巻である。
HIVに感染していることが分かった彼女だが、
人としての誇りを胸に、
子ども二人を抱え、
しっかりと足を踏み出す。


どれもシリアスな内容の映画になってしまったが、心に響くのは、やはりこうした映画である。

2011年3月2日水曜日

当事者研究への期待にふれて

先日の心理教育家族教室ネットワーク研究会で、当事者研究における新たな試みに接する機会をいただいた。
当事者研究そのものが、まだまだ広く認知されているとは言い難い。
そんな状況で、
暗黙知を形式知に高めるマーケティング概念を、当事者ムーブメントに援用する試みや、
闘病記に代表されるナラティブ研究の価値を、貴重な経験や知恵の集積として強調する活動に、
果敢に取り組んでいる方々がおられた。
それら詳細は、機会があれば紹介したいが、有名な「べてる」の活動を、社会学的に、というより発展するコミュニティの物語として見直そうという発表、ともとらえられよう。
個人的には、日頃感じている共同研究(当事者、専門家)の可能性に、あらためてこころひかれた。
良きこと、善きものは、静かに広がっている、そんなエネルギーもいただいた。

さて、ランチョンセッションでは、これまでにない試みであるが、
統合失調症のご家族から、苦闘の歴史を、直接言葉として伺う機会もあった。
そうした困難な体験から、建設的なビジョンをつなげる姿勢に、畏敬の念を抱いた。

研究会を開催された東京女子医大のスタッフ・関係者のみなさんに、感謝申し上げたい。