2014年1月30日木曜日

止揚力・・・メンタルヘルス通信より、ふたたび

相談場面で、人生の中で、出会う厳しく困難な出来事に、

支援者として、人としてどう処したらいいのか?

自戒をこめて、語りました

2010年のメール通信から、おとどけします

(「メンタルヘルス通信」No.9(2010年7月)



“カウンセリング・マインド 3つの理 ― 止揚力”


悩みや問題が生じるとき、おそらく2つの事態の葛藤や衝突が、おきているのではないでしょうか。


いずれを選択するか、しないか。

やりたいのに、やれない。

やるべきなのに、手がつかない。


結果として、あきらめや、全否定、まったく違う方向への逃避、自棄、途方に暮れて、ただ立ち止まる、延々と回り続ける、こうした苦悩の状況に至るのでしょう。


葛藤や衝突、これは、簡単に割り切れるものではありません。

だから、悩み、苦悩する。


「くよくよかんがえず、割り切ろう!?」

割り切ること、なんだか良さそうな方法だが、どこか大切なものを見逃してしまいそうです。


悩みながら、選ぶ。

苦しみながら、あきらめる。

なんだかすっきりしないが、実は大切な経験となる。


簡単に割り切るのではなく、解決できない自分を、甘んじて受け止められるか?

二率背反や二項対立から、より一段高いレベルで、成長することができるだろうか?



「あの時の落選があったから、選挙民の真の声を聞くことができた」

「今回の敗戦で、やっとチームが生まれ変われる」

こういった言葉を、想起します。


これを、止揚力と、呼んでみます。


私たちが、他者の悩みに触れ、他者の問いに直面するとき、独りよがりな答えを出すことはできません。

安易に割り切った助言やなぐさめも、言葉が素通りしてしまいます。



ただ、きくこと。


戸惑いを受け入れて、そこに居ること。


彼らが、止揚できるように、その媒介の場になること。


それは長く、はがゆい作業かもしれません。


それはときに、厳しい体験かもしれません。


止揚する、ということは、ある種の「覚悟」なのかもしれません。