相談場面で、人生の中で、出会う厳しく困難な出来事に、
支援者として、人としてどう処したらいいのか?
自戒をこめて、語りました
2010年のメール通信から、おとどけします
(「メンタルヘルス通信」No.9(2010年7月)
“カウンセリング・マインド 3つの理 ― 止揚力”
悩みや問題が生じるとき、おそらく2つの事態の葛藤や衝突が、おきているのではないでしょうか。
いずれを選択するか、しないか。
やりたいのに、やれない。
やるべきなのに、手がつかない。
結果として、あきらめや、全否定、まったく違う方向への逃避、自棄、途方に暮れて、ただ立ち止まる、延々と回り続ける、こうした苦悩の状況に至るのでしょう。
葛藤や衝突、これは、簡単に割り切れるものではありません。
だから、悩み、苦悩する。
「くよくよかんがえず、割り切ろう!?」
割り切ること、なんだか良さそうな方法だが、どこか大切なものを見逃してしまいそうです。
悩みながら、選ぶ。
苦しみながら、あきらめる。
なんだかすっきりしないが、実は大切な経験となる。
簡単に割り切るのではなく、解決できない自分を、甘んじて受け止められるか?
二率背反や二項対立から、より一段高いレベルで、成長することができるだろうか?
「あの時の落選があったから、選挙民の真の声を聞くことができた」
「今回の敗戦で、やっとチームが生まれ変われる」
こういった言葉を、想起します。
これを、止揚力と、呼んでみます。
私たちが、他者の悩みに触れ、他者の問いに直面するとき、独りよがりな答えを出すことはできません。
安易に割り切った助言やなぐさめも、言葉が素通りしてしまいます。
ただ、きくこと。
戸惑いを受け入れて、そこに居ること。
彼らが、止揚できるように、その媒介の場になること。
それは長く、はがゆい作業かもしれません。
それはときに、厳しい体験かもしれません。
止揚する、ということは、ある種の「覚悟」なのかもしれません。