2017年9月29日金曜日

障がいバブル

障がい支援の委員会で、複雑な心境になった

日常の困りごと、大学生活での問題、、さまざまあれど、、

それは、自己申告あれば、簡単に「障害」としていいのだろうか?

直ちに「障害」と規定することに、鈍感でいいのだろうか?

もちろん、個性や特性にとどまらぬ、当事者のかかえる障壁や齟齬を、

個別に受け止め、可能な限り周囲が支援すること、

エンパワーメントにセンシティブであること、

これはゆずることのできない、

ポリシーであり、児童精神科医としての姿勢である

そうした活動に、仰々しい枠組みをはめ、

障がいを広げることのリスクに気づかぬ虞、

この機に及んで、それにくみすることは、社会性や大人ということばでもっても、

わたしには妥協できない

障がい支援をバブルとせず、

周囲や環境のバリアフリーを優先し、

何より多様性と多義性を尊重するキャンパスこそ、

目指すべき到達点ではないだろうか?

それなく、disorderの意味も解さぬ段階で、

狭隘に「支援」を振りかざすことに、

やはり疑念を持つ

博愛と慈愛の視線だけで、

psychiatric disordersを障害とみなす風潮に、

懸念を抱くこともある

われわれは当事者の苦悩のうえにたち、

毅然と声をあげねばなるまい

目の前の人に、

障がいなどという言葉を超えて、

向き合うすべを、

われわれは、深く見つめたいと願っていることを