障がい支援の委員会で、複雑な心境になった
日常の困りごと、大学生活での問題、、さまざまあれど、、
それは、自己申告あれば、簡単に「障害」としていいのだろうか?
直ちに「障害」と規定することに、鈍感でいいのだろうか?
もちろん、個性や特性にとどまらぬ、当事者のかかえる障壁や齟齬を、
個別に受け止め、可能な限り周囲が支援すること、
エンパワーメントにセンシティブであること、
これはゆずることのできない、
ポリシーであり、児童精神科医としての姿勢である
そうした活動に、仰々しい枠組みをはめ、
障がいを広げることのリスクに気づかぬ虞、
この機に及んで、それにくみすることは、社会性や大人ということばでもっても、
わたしには妥協できない
障がい支援をバブルとせず、
周囲や環境のバリアフリーを優先し、
何より多様性と多義性を尊重するキャンパスこそ、
目指すべき到達点ではないだろうか?
それなく、disorderの意味も解さぬ段階で、
狭隘に「支援」を振りかざすことに、
やはり疑念を持つ
博愛と慈愛の視線だけで、
psychiatric disordersを障害とみなす風潮に、
懸念を抱くこともある
われわれは当事者の苦悩のうえにたち、
毅然と声をあげねばなるまい
目の前の人に、
障がいなどという言葉を超えて、
向き合うすべを、
われわれは、深く見つめたいと願っていることを