前回に引き続き、相談場面で気づいたことを、メンタルヘルス通信にて語りました。
共感は、同情や、思いやりとは、どう違うのか?
他者のおかれた状況に、究極の想像力をもって、共感できるか?
そもそも自分の中に湧き上がる、さまざまな想いや考えを、見つめられるか?
以下のアドレスで、発信します。
http://www.lc-japan.com/gu/outside/bn_08.php
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Official Weblog of Toru Uehara - かつて細々書き連ねてきた、医療や社会に関する私見提言を、また再開いたします。これまでの過去のコラムは、まとめてリンクいたします。
2010年5月24日月曜日
2010年5月17日月曜日
エビデンス、それはローカルな知恵の一つ
エビデンスとは、何か?
その時代や文化で、専門家といわれる人々が、最先端のテクンロジーや知識、手法をもとに確認した、科学的事実。
しかし真実とは言い切れない。
確認された効果やメカニズムが、その時代を少しすぎれば、書き換えられることも多い。
西洋文明を共有する人口は、世界総人類の約70億中、いかほどだろうか?
そうすると科学的事実も、その時代、社会、一部の人々にとっての、ローカルな知恵、なのではないか?
ただし、それを追求する努力と志は、医療者としての使命ではある。
その人にとってのちょっとした信仰や、偶然としか言いようのない出会いがもたらす変化、
グループで語られたプロセスが図らずも共有されること。
きわめてローカルな語りと知恵の、効するときがある。
ローカルな知恵、それは、人類の歴史とともに積み上げられてきた文明の数、人生の数をこえてある。
地道に何千年と培われたローカルな知恵は、医療として古典化している。
エビデンス至上主義のもと、ローカルな知恵を排除すべきではない。
目の前の臨床的事態に、ローカルな知恵を適切に参照して処すること。
もちろんエビデンスも、ローカルな知識の一つとして。
(小森康永氏の著作、ナラティブ実践再訪を読んで)
その時代や文化で、専門家といわれる人々が、最先端のテクンロジーや知識、手法をもとに確認した、科学的事実。
しかし真実とは言い切れない。
確認された効果やメカニズムが、その時代を少しすぎれば、書き換えられることも多い。
西洋文明を共有する人口は、世界総人類の約70億中、いかほどだろうか?
そうすると科学的事実も、その時代、社会、一部の人々にとっての、ローカルな知恵、なのではないか?
ただし、それを追求する努力と志は、医療者としての使命ではある。
その人にとってのちょっとした信仰や、偶然としか言いようのない出会いがもたらす変化、
グループで語られたプロセスが図らずも共有されること。
きわめてローカルな語りと知恵の、効するときがある。
ローカルな知恵、それは、人類の歴史とともに積み上げられてきた文明の数、人生の数をこえてある。
地道に何千年と培われたローカルな知恵は、医療として古典化している。
エビデンス至上主義のもと、ローカルな知恵を排除すべきではない。
目の前の臨床的事態に、ローカルな知恵を適切に参照して処すること。
もちろんエビデンスも、ローカルな知識の一つとして。
(小森康永氏の著作、ナラティブ実践再訪を読んで)
2010年5月12日水曜日
カンファレンスの妙
問題がおきないと、人はなかなかに動かない
気付かないことが、問題を通じて露わにもなる
問題が、時に契機となり、思わぬ展開を呼ぶ
ある多職種多機関カンファレンスに、参加した
問題行動を起こした事例について、関係者が集まり、意見を述べ合った
これまでもなんだか?ではあったが、カンファするまでではなかったのも事実
一つの事例に、たくさんの大人が時間を割き、どう理解し、かかわったらよいか、知恵を絞る
もちろん、それぞれの現場で、苦労や困難が続いていたこと、
それぞれに、心配し、対処し、かかわろうとしていたことが共有される
参加者の立場や背景が、共感される
対立や主張から、協働の動きが、はじまる
さらにそのむこうは、事例に対する、異文化理解
同じ環境刺激やコミュニケーションの文脈が、ずいぶん違った様相で、理解されていたのかもしれない
とすれば、常識や固定観念を超えた、かかわりの工夫が、コミュニケーションの一歩となる
こうした相互対話から導かれる、理解と対処
事例を通して集った意味
話が「通じる」関係者に、お一人おひとりが格上げされる
まさしく、人生クラブの会員として
気付かないことが、問題を通じて露わにもなる
問題が、時に契機となり、思わぬ展開を呼ぶ
ある多職種多機関カンファレンスに、参加した
問題行動を起こした事例について、関係者が集まり、意見を述べ合った
これまでもなんだか?ではあったが、カンファするまでではなかったのも事実
一つの事例に、たくさんの大人が時間を割き、どう理解し、かかわったらよいか、知恵を絞る
もちろん、それぞれの現場で、苦労や困難が続いていたこと、
それぞれに、心配し、対処し、かかわろうとしていたことが共有される
参加者の立場や背景が、共感される
対立や主張から、協働の動きが、はじまる
さらにそのむこうは、事例に対する、異文化理解
同じ環境刺激やコミュニケーションの文脈が、ずいぶん違った様相で、理解されていたのかもしれない
とすれば、常識や固定観念を超えた、かかわりの工夫が、コミュニケーションの一歩となる
こうした相互対話から導かれる、理解と対処
事例を通して集った意味
話が「通じる」関係者に、お一人おひとりが格上げされる
まさしく、人生クラブの会員として
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