2010年5月24日月曜日

カウンセリング・マインド 3つの理 ― 共感力

前回に引き続き、相談場面で気づいたことを、メンタルヘルス通信にて語りました。



共感は、同情や、思いやりとは、どう違うのか?


他者のおかれた状況に、究極の想像力をもって、共感できるか?


そもそも自分の中に湧き上がる、さまざまな想いや考えを、見つめられるか?



以下のアドレスで、発信します。

http://www.lc-japan.com/gu/outside/bn_08.php

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2010年5月17日月曜日

エビデンス、それはローカルな知恵の一つ

エビデンスとは、何か?

その時代や文化で、専門家といわれる人々が、最先端のテクンロジーや知識、手法をもとに確認した、科学的事実。
しかし真実とは言い切れない。

確認された効果やメカニズムが、その時代を少しすぎれば、書き換えられることも多い。
西洋文明を共有する人口は、世界総人類の約70億中、いかほどだろうか?

そうすると科学的事実も、その時代、社会、一部の人々にとっての、ローカルな知恵、なのではないか?
ただし、それを追求する努力と志は、医療者としての使命ではある。

その人にとってのちょっとした信仰や、偶然としか言いようのない出会いがもたらす変化、
グループで語られたプロセスが図らずも共有されること。
きわめてローカルな語りと知恵の、効するときがある。


ローカルな知恵、それは、人類の歴史とともに積み上げられてきた文明の数、人生の数をこえてある。
地道に何千年と培われたローカルな知恵は、医療として古典化している。
エビデンス至上主義のもと、ローカルな知恵を排除すべきではない。

目の前の臨床的事態に、ローカルな知恵を適切に参照して処すること。
もちろんエビデンスも、ローカルな知識の一つとして。

(小森康永氏の著作、ナラティブ実践再訪を読んで)

2010年5月12日水曜日

カンファレンスの妙

問題がおきないと、人はなかなかに動かない
気付かないことが、問題を通じて露わにもなる
問題が、時に契機となり、思わぬ展開を呼ぶ

ある多職種多機関カンファレンスに、参加した
問題行動を起こした事例について、関係者が集まり、意見を述べ合った
これまでもなんだか?ではあったが、カンファするまでではなかったのも事実

一つの事例に、たくさんの大人が時間を割き、どう理解し、かかわったらよいか、知恵を絞る
もちろん、それぞれの現場で、苦労や困難が続いていたこと、
それぞれに、心配し、対処し、かかわろうとしていたことが共有される

参加者の立場や背景が、共感される
対立や主張から、協働の動きが、はじまる
さらにそのむこうは、事例に対する、異文化理解
同じ環境刺激やコミュニケーションの文脈が、ずいぶん違った様相で、理解されていたのかもしれない

とすれば、常識や固定観念を超えた、かかわりの工夫が、コミュニケーションの一歩となる
こうした相互対話から導かれる、理解と対処

事例を通して集った意味
話が「通じる」関係者に、お一人おひとりが格上げされる

まさしく、人生クラブの会員として