2010年7月23日金曜日

精神保健福祉のメーリング情報より転載

I リカバリー全国フォーラム2010
~日本の精神保健福祉サービスを"当事者中心"に変革するために~
http://www.comhbo.net/modules/bulletinp3/index.php?page=article&storyid=1http://www.comhbo.net/uploads/rnf2010p8.pdf
○日時:2010年9月10日金曜日10:00~9月11土曜日17:00
○会場:文京学院大学・本郷キャンパス <東京都文京区>(東京メトロ南北線・東大前駅・2番出口・徒歩0分)


II 福祉サービスのプログラム評価研究者育成プロジェクト国際セミナー
○日時:2010年8月4日水曜日 10:00-17:00、8月5日木曜日13:00-16:30
○会場:日本社会事業大学教学A棟A401教室 (東京都清瀬市竹丘3-1-30)http://psilocybe.co.jp/0804/


III フィリス・ソロモン教授によるプログラム評価ワークショップ
「地域を基盤とする対人サービスプログラムのランダム化比較試験(RCT):その設計と実施の原則および実施ガイダンス」
http://psilocybe.co.jp/0730/
○日時:2010年7月30日金曜日 13:00-16:30
○会場:東京大学医学部3号館 N101教室 (東京都文京区本郷7-3-1)


IV フィリス・ソロモン講演会
日本の「当事者サービス提供者」の発展可能性を考える
http://psilocybe.co.jp/0809/
○日時:2010年8月9 日月曜日 19:00 ~ 20:30
○会場:岡山県精神科医療センター 4 階 サンクトホール〒700-0915 岡山市北区鹿田本町 3-16
http://www.popmc.jp/index.php?id=16

2010年7月21日水曜日

メンタルヘルスの現場で感じる無力感

自殺予防やメンタルヘルス対策の現場で感じる違和感
メディアの報道や社会の問題意識と、
実際その場に対峙する個々人が「どう思い、何ができるか」という現実とが、
残念ながら、時にかい離しているのでは?
危惧しているのだが、、

知識レベルでの現状認識や「声かけ方」などの対処策、組織レベルでの啓もうやシステム作り
これは大前提として、
ごく当たり前の相互扶助感がない中では、ボールの投げあいやセクター化を生みだしやしまいか?

「うちの部署で問題が起きたらこまるから、とにかく休んでいてほしい」
「メンタルというが、このくらいのことはみんな我慢している」
「何かして逆効果だと怖いので、とにかく専門家にゆだねておこう」

そもそも、人は環境なのかに生きている
これだけの自殺者が出る環境、そこに我々も他人事でなく、すごしている
みんなが強く我慢できるようになる、それだけでいいのか?
当たり前の傷つきや躓きさえ許容されない、そんな風潮がある中で、だれがどうやって人を救えるというのか?
「その姿、何年か先、もしくは何年か前、自分そのものかもしれない」という、『お互いさま』の思想はどこに消えたのか?

心と言葉が一致しない、マニュアル通りの「むりしないで」「やすんでいいよ」
ひいては、下手に手を出さないほうがいい、専門家にまかせさえすればよい
このくらのことでこうなるほうが弱い、という価値判断が暗黙の了解、
そうした組織システムの中で、
どんなに「いまはあせらず」「よくなればとりもどせる」といった言葉を伝えても、、、


基本となる集団環境は、個人が形成するシステム、そして複雑なものには命が宿る
命を失う社会では、個々人が何かを見失っているのかもしれない


何かが起きたら”カウンセラー”、まるで魔法のことば
メンタル知識では、うつのせいと習いました、とにかく医者にかけること
労働状況のせい、経済のせい、あとは人事課や庶務課にまかせておこう
もちろんそれらは大切なことだが、、、

真にその人の立場に立った
「いまは、やすもう」
「健康さえ戻れば、なんとかなる」
「できる範囲で、力になりたい」
”言葉の力”
その復活を願うばかり

かかわるかたがたお一人お一人の、
常識的な想像力と共感力
それこそが、真のメンタルヘルスを導くカギ

そう痛感しているのだが、、、いかんせん微力である

2010年7月14日水曜日

人生について語られたこと-水木しげる氏の「カランコロン漂泊記」から

NHK朝ドラで話題の水木御大、その著作(小学館)から、「幸福観察学」を通じて学ぶこと。

「、、“霊界”があると考えるのと、“無い”と考えるのとでは、どうも同じように生きても、その幸福観というか、安定感が大きく違うような気がする。(中略)人間はまだ地上に生まれてくるが、何かわかりかけると死んでしまう、ようになっているのだ。最近の楽しみは、霊界での再生(いや人間は死なない)だ。」

ユーモアというよりも、ナチュラルなメタの視線、とでもいうべきか。
なんとも、余分な力が抜けて、豊かな別世界につながっておられる。
それは、氏が良く語る「うんこ」や「おなら」論議でも、同様である。

「人間は生きようという意志の強弱があり、目に見えない意思の強弱が、死に方にも影響すると思っている。“意思の力”、はバカにならんというわけだ」


戦争体験が、氏の幸福学に大きな影響を与えている。

前線での不審番(みはり)で、敵の襲来ではなく、南方ジャングルや朝日の『美』にみとれていたために、逆に死の運命を逃れた。

腕を切断してから半年も入浴できずにいた氏を、風呂に入れて洗ってくれた兵隊たち、どうもヒトの中に『ボサツ』が混じっていたらしい、と気付く。一方で『悪魔』も混じっているが、そういう次元の異なる(!)方々は、目には見えず【憑く】といった現れ方をするという。


カランコロン的幸福論に基づく、示唆の数々がちりばめられている。

答案用紙の110点!に自らおどろき自信を持ったという話は、笑いの向こうに、深い世界が広がる。
実は、0点の下に強調の棒2本、そんなテストの回答用紙を、つい90度回してみてしまい、
「おれはなんて天才だ、開校以来だれも110点をとった者はいないだろう」という、水木世界。
「毎日賢くなるのは、すべてを斜めに見ているからカナ?」

『睡眠力と偉大なる胃、そして貧乏力』
睡眠力による、マラリアからの回復?は、妙な説得力がある。
「、、大好きな妖怪たちとの接触、時をみて冒険旅行、そしておいしい毎日の食事。すこしぼけたせいか、毎日が楽しくてたまらない、というより胃を人に分けてやりたいと思うのも、ぼけのはじまりかもしれない」
健啖です。

「貧乏から金持ちになると、得体のしれない恐怖みたいなものが横に座っていた」
(素晴らしい外在化!)。
「おまえは、心配神、ヒトをくよくよさせて、幸福にさせないのだ!」
「そうさ、ひとは俺を追い出すのに大騒ぎ、おまけに変な宗教を作ったりして」
「あっちいけ、俺には貧乏力がある!」
(素晴らしい、positive connotation)

「どうしてそんなに働くの?」という猫のことば、
「この世は通過するだけのものだから、あまり気張る必要はないよ」、と言われ、
「ふーん、動物も植物も決められたようにしか生きられないのだ。
力んでも屁が出るくらいのことで、あまり差がないようだな~」

おっしゃるとおりかもしれません。

2010年7月5日月曜日

カウンセリング・マインド 葛藤を止揚できるか?

相談場面で出会う厳しく困難な出来事に、

支援者としてどう処したらいいのか?

自戒をこめて、語りました


こちらのアドレスでご覧になれます

http://ghsc.aramaki.gunma-u.ac.jp/outside/bn_09.php