摂食障害センター設立準備委員会が立ち上げられ、摂食障害の公的専門機関設立を目指して、ホームページを開いています。
http://www.edcenterjp.org/index.html
これからの活動を、応援したいと思います。
Official Weblog of Toru Uehara - かつて細々書き連ねてきた、医療や社会に関する私見提言を、また再開いたします。これまでの過去のコラムは、まとめてリンクいたします。
2011年12月1日木曜日
2011年11月11日金曜日
23年度メンタルヘルス研究会の案内
2012年2月17日金曜日PM3時から、
群馬大学荒牧キャンパスミューズホールにて、
表記講演会を開催いたします。
講師は、赤田卓志朗先生(群馬県立精神医療センター副院長)
テーマは、精神科はどんなところ?
一般の方々の持っている素朴な疑問を題材にした、入門講座を願しております。
入場無料です。
詳細はこちらをどうぞ
http://ghsc.aramaki.gunma-u.ac.jp/outside/MHK12.pdf
群馬大学荒牧キャンパスミューズホールにて、
表記講演会を開催いたします。
講師は、赤田卓志朗先生(群馬県立精神医療センター副院長)
テーマは、精神科はどんなところ?
一般の方々の持っている素朴な疑問を題材にした、入門講座を願しております。
入場無料です。
詳細はこちらをどうぞ
http://ghsc.aramaki.gunma-u.ac.jp/outside/MHK12.pdf
2011年11月1日火曜日
ミンデルのことばから
文化的変容とエッジ(「ドリームボディ・ワーク」春秋社)より
『理論的には、多数派が自発的に自らの立場を少数派の方向に変更する時に、家族やグループが変化することが可能である。
大多数の変化は一個人から始まる。
始めは、しばらくは病気だったり、正気ではない振る舞いをしながらも、基本的にグループの一次プロセスを支えるに足る強さを持った人間である。
人類という種は、一つ家に住む家族である。しばらくは皆ここに居るしかない。
おそらく地球についても同じように考えることができるであろう。
多くの夢や身体の問題、集合的無意識の狂気をふんだんに持っているひとは、自分自身を信じるだけの強さをときに持つことがある。
将来このような人たちが、自らの属する集団のエッジを超え、周りの人々の嘲笑と誤解に耐え、変化につきものの嵐を切り抜け、辛抱強く、多数派が自らを変革する用意ができるまで持ちこたえるだろう。
2次プロセスに耳を傾け、世の中にそれを生かす人が一人でもいれば、身の回りの環境や社会を変えることは十分にできるはずだ。』
ちなみに23日の夜の夢、視覚のチャンネルがにわかに騒がしく、目を閉じても光の波が動く。うつつとの境で、しきりにもがいていたが、じっと見続けると、きれいな小さな花が数多く積み上げられた。とたんに、聴覚チャンネルから、嵐のような雨音、次第に太鼓のようなリズムが響き、自分も思い切りたたいた。急に視界がひらけ、見渡す限りの夕闇に、山の頂上が行く嶺も連なり、オレンジ色の炎がいくつか湧きあがっていた。なにかのプロセスだろうか?
2011年10月28日金曜日
Psychiatric Disorders - Trends and Developments
InTech社から、オープンアクセスの書籍が刊行されました。
世界各地から、充実した知見が集まりました。
どうぞ、ごらんください。
http://www.intechopen.com/books/show/title/psychiatric-disorders-trends-and-developments
世界各地から、充実した知見が集まりました。
どうぞ、ごらんください。
http://www.intechopen.com/books/show/title/psychiatric-disorders-trends-and-developments
2011年10月5日水曜日
Psychiatric Disorders - Worldwide Advancesを上梓
小生が編集したモノローグが、ワールドワイドなOPEN ACCESS出版社から、上梓されました
Dissociative Tendency, Anger Expression, and Frontal Activation During a Verbal Fluency Task
Toru Uehara, Yoko Ishige and Masashi Suda
が掲載されております
この後刊行される予定の、続編も編集いたしました
合わせて、ご覧ください
http://www.intechweb.org/books/show/title/psychiatric-disorders-worldwide-advances
Dissociative Tendency, Anger Expression, and Frontal Activation During a Verbal Fluency Task
Toru Uehara, Yoko Ishige and Masashi Suda
が掲載されております
この後刊行される予定の、続編も編集いたしました
合わせて、ご覧ください
http://www.intechweb.org/books/show/title/psychiatric-disorders-worldwide-advances
2011年10月3日月曜日
心理教育家族教室ネットワーク研究集会の案内
第15回研究集会・静岡大会のご案内
大会長:平田豊明(静岡県立こころの医療センター院長)
実行委員長:村上直人(静岡県立こころの医療センター副院長)
会期:2012年(平成24年)3月8日(木)・9日(金)
大会テーマ:「とどける、つたえる、心理教育」会場:アクトシティ浜松・コングレスセンター(静岡県浜松市中区板屋町111-1)
http://www.at-ml.jp/?in=62477
2011年9月21日水曜日
心理教育家族教室ネットワークよりのお知らせ
『標準版家族心理教育新潟研修会』
本年も心理教育・家族教室ネットワーク主催により、「標準版家族心理教育新潟研修会」を開催することになりました。今年度は例年よりも少し早く、10 月に県の中心に位置する長岡市にて研修を行うこととなりました。研修会の内容等につきましては以下の通りとなっております。是非お誘い合わせの上、振るって御参加下さい。
詳細はこちら
http://www.jnpf.net/annai_1.html
本年も心理教育・家族教室ネットワーク主催により、「標準版家族心理教育新潟研修会」を開催することになりました。今年度は例年よりも少し早く、10 月に県の中心に位置する長岡市にて研修を行うこととなりました。研修会の内容等につきましては以下の通りとなっております。是非お誘い合わせの上、振るって御参加下さい。
詳細はこちら
http://www.jnpf.net/annai_1.html
2011年9月16日金曜日
講演:医療や脳科学と発達障害
アップロードのsizeに限度があり、冒頭部分だけですが、おききください
前半は、協働に向けての問題を、率直に語りました
後半では、脳科学の治験を網羅して紹介しました
2011年9月5日月曜日
身体イメージと前頭葉賦活の性差-open accessの論文です
Gender
Differences in Frontal Activation While Perceiving Pathologically Thin Female
Body Forms
Toru Uehara, Yoko Ishige, Masashi Suda, Perminder Sachdev, PP.102-110, Pub. Date: 2011-08-26
Journal of Behavioral and Brain Science
http://www.scirp.org/journal/jbbs/
フリーダウンロードですので、どうぞご覧ください
Toru Uehara, Yoko Ishige, Masashi Suda, Perminder Sachdev, PP.102-110, Pub. Date: 2011-08-26
Journal of Behavioral and Brain Science
http://www.scirp.org/journal/jbbs/
フリーダウンロードですので、どうぞご覧ください
2011年8月5日金曜日
庭で感じること
最近、趣味の園芸をよく見る
イケメン男優や若い女性たちが、
おしゃれさを強調して演出する
それは、それでよい
土と汗と虫さされにまみれ、地道で丹念な作業の積み重ねである
あれこれ手を出すと、混乱してしまうので、手順や準備も必要である
肥料のやりすぎや、なんでも同じような水やりは、いけない
植物の特性になるべく合わせた組み合わせと植え場所、手入れが肝要である
広く庭全体を見渡し、バランスをとり、日照や季節も想像しつつ、配置する
鉢の大きさや根の様子、特性に応じて、土や肥料を細かに調節する
切るところは大胆に、ばっさり風通しを良くする
すっきり剪定すると、勢いよく芽や花がつく
物置にある噴霧機、ぶどう棚の木陰、サボテンのあるミニハウス
子ども時分、かなりたのしいアイテム達であった
こうした日本の大地が、放射線物質で汚染されたことは、言いようのない虚無を感じるが、、
写真のように、いつもきれいに花が咲いているわけではない
自然には、一期一会の短い瞬間がある
悲しみと恐れを抱きつつも、
私は、やはり、
植物の知識を仕入れ、
時を忘れ、
「庭」に遊ぶ
イケメン男優や若い女性たちが、
おしゃれさを強調して演出する
それは、それでよい
ガーデニングと言えば聞こえがいいが、
実際は、草むしり、花摘み、芝刈り、みずやり、剪定、、、土と汗と虫さされにまみれ、地道で丹念な作業の積み重ねである
あれこれ手を出すと、混乱してしまうので、手順や準備も必要である
天候や土の様子、草木の勢いなどに、細かな目配りも、必要だ
時節に応じて、プランターを置き換えたり、植え替えや養生もいる肥料のやりすぎや、なんでも同じような水やりは、いけない
植物の特性になるべく合わせた組み合わせと植え場所、手入れが肝要である
鉢の大きさや根の様子、特性に応じて、土や肥料を細かに調節する
切るところは大胆に、ばっさり風通しを良くする
すっきり剪定すると、勢いよく芽や花がつく
そういえば、祖父も若いころから、菊やつつじなどに精を出していた
生家の庭には、いくつもの植木鉢や、高い庭木があったことを思い出す物置にある噴霧機、ぶどう棚の木陰、サボテンのあるミニハウス
子ども時分、かなりたのしいアイテム達であった
季節ごとに、庭は表情を変える
宿根が芽吹くときの、再開の嬉しさは、言い表せない写真のように、いつもきれいに花が咲いているわけではない
自然には、一期一会の短い瞬間がある
悲しみと恐れを抱きつつも、
私は、やはり、
植物の知識を仕入れ、
想像力を駆使し、
自然かつ魅力的な庭を目指し、時を忘れ、
「庭」に遊ぶ
空間と時間、
目配りと手加減、
全体と部分、
緻密さと大胆さ、
多様性と生命力、
何より育ち、育てることの静かな実感
あなたにも、遊べる「庭」があることを、こころより願う
2011年7月8日金曜日
5大疾患のニュース
4大疾病、精神疾患加え5大疾病に(厚生労働省)
2011年7月7日 提供:読売新聞による
厚生労働省は6日、「4大疾病」と位置付けて重点的に対策に取り組んできたがん、脳卒中、心臓病、糖尿病に、新たに精神疾患を加えて「5大疾病」とする方針を決めた。
うつ病や統合失調症などの精神疾患の患者は年々増え、従来の4大疾病をはるかに上回っているのが現状で、重点対策が不可欠と判断した。
同省は同日、国の医療政策の基本指針に精神疾患を加える方針を社会保障審議会医療部会で示し、了承された。この指針を基に都道府県は地域医療の基本方針となる医療計画を作る。
4大疾病は2006年に重点対策が必要な病気として指針に明記。それを受けて都道府県が、診療の中核を担う病院の整備や、患者を減らすための予防策など、具体的な対策を立てた。
医療計画は5年に1度見直され、次回は13年に予定している都道府県が多い。
同省の08年の調査では、糖尿病237万人、がん152万人などに対し、精神疾患は323万人に上る。
2011年6月22日水曜日
広報高崎に発達障害が特集されています
平成23年6月15日1300号に、
市こども発達支援センターの設立の案内とともに、
当事者の貴重なインタビューや、
国立のぞみの園診療所有賀先生のQ&Aコーナーが、掲載されています。
今後の展開に期待を寄せています。
こちらでダウンロードできます。
2011年4月4日月曜日
双極性障害に関する対話
科研費ミーティングとして、黒崎成男先生(中泉メンタルクリニック院長)と対談を行いました。
氏は、すぐれた臨床的感性をお持ちの精神科医です。
クリニックでの経験や、神田橋先生からのスーパービジョンを通してつかんだコメントなど、
お互いに、双極性を深く見つめる機会になりました。
内容は、後日テキストとして発表予定でおります
冒頭部分のみですが、対話をお聞きください
2011年3月14日月曜日
大震災
未曾有の大震災をまのあたりにし、
大きな衝撃の中にありますが、
被災した方々、救援に当たっている方々、間接的に影響を受けている多くの方々へ、
一刻も早い救出、
安否の確認、
ライフラインなど安全な生活の復旧を、
心から祈ります。
以下、メンタルケア関係の情報が入ってまいりました。
日本トラウマティックストレス学会:大震災支援情報サイト
http://jstss.blogspot.com/
大規模災害後の心理支援の基本事項、前田会長の声明など
心理教育家族教室ネットワーク:メーリングリストからの情報
(代表幹事 後藤雅博先生が、新潟の震災での支援経験をもとに、以下をご助言)
1)最初は「こころのケア」より、第一に医療継続(抗精神病薬、抗てんかん薬の継続)と地元精神科病院への支援
2)医師会、保健所、市町村保健師(地元健康センター)、診療所など地元医療保健機関との連携
3)避難所などを回る場合も、最初から「心のケア」「PTSD」などで入らない。まず熱や風邪引きなど身体をていねいに。
4)支援者の支援(バックアップ):不眠不休で活動している地元支援者の健康管理
5)「今起きている症状(不安、不眠、パニック、絶望や昂揚)のようなことは当たり前の反応です」という心理教育が重要。基本的に地元の負担にならない支援が求められます。
そのためには
①地元に迷惑をかけない装備(自力でチームを維持できる食料、水、テント、できれば移動手段(車)、燃料、通信手段を持つ)でいくこと
②多職種チームでの編成(第一陣は災害支援に経験のある医師、看護師、保健師、PSWあるいは事務職員)でいくこと
③地元のスタッフや行政で不足のことは多々ありますが、絶対に批判(「もっとこうした方が」という、よかれと思う助言も含めて)をしないこと(地元関係者者の方が、ずっと足りないことを感じています。)
④支援チーム同士、地元スタッフとの現場ミーティングは早いうちから定例で行うこと(役割分担をすることと、デブリーフィングの役にも立ちます)
大規模災害におけるトラウマの理解とケア:togetter
http://togetter.com/li/111363
個人的な気持ちですが、
救援や救助にあたっている消防や自衛隊などの関係者、電力会社や原子力発電所の関係者、交通関係、行政関係などの方々、ご自身やご家族が被災者でもあられる場合が多いのではないかと、心配しています。
目の前のことを必死で取り組んでいる方々に心から感謝し、メディア含めて決して足を引っ張ったり批判ばかりすることなく、私たちができることを一つでも協力し、少しでも解決的に、支援につながる心持ちで向き合うべき時ではないでしょうか。
大きな衝撃の中にありますが、
被災した方々、救援に当たっている方々、間接的に影響を受けている多くの方々へ、
一刻も早い救出、
安否の確認、
ライフラインなど安全な生活の復旧を、
心から祈ります。
以下、メンタルケア関係の情報が入ってまいりました。
日本トラウマティックストレス学会:大震災支援情報サイト
http://jstss.blogspot.com/
大規模災害後の心理支援の基本事項、前田会長の声明など
心理教育家族教室ネットワーク:メーリングリストからの情報
(代表幹事 後藤雅博先生が、新潟の震災での支援経験をもとに、以下をご助言)
1)最初は「こころのケア」より、第一に医療継続(抗精神病薬、抗てんかん薬の継続)と地元精神科病院への支援
2)医師会、保健所、市町村保健師(地元健康センター)、診療所など地元医療保健機関との連携
3)避難所などを回る場合も、最初から「心のケア」「PTSD」などで入らない。まず熱や風邪引きなど身体をていねいに。
4)支援者の支援(バックアップ):不眠不休で活動している地元支援者の健康管理
5)「今起きている症状(不安、不眠、パニック、絶望や昂揚)のようなことは当たり前の反応です」という心理教育が重要。基本的に地元の負担にならない支援が求められます。
そのためには
①地元に迷惑をかけない装備(自力でチームを維持できる食料、水、テント、できれば移動手段(車)、燃料、通信手段を持つ)でいくこと
②多職種チームでの編成(第一陣は災害支援に経験のある医師、看護師、保健師、PSWあるいは事務職員)でいくこと
③地元のスタッフや行政で不足のことは多々ありますが、絶対に批判(「もっとこうした方が」という、よかれと思う助言も含めて)をしないこと(地元関係者者の方が、ずっと足りないことを感じています。)
④支援チーム同士、地元スタッフとの現場ミーティングは早いうちから定例で行うこと(役割分担をすることと、デブリーフィングの役にも立ちます)
大規模災害におけるトラウマの理解とケア:togetter
http://togetter.com/li/111363
個人的な気持ちですが、
救援や救助にあたっている消防や自衛隊などの関係者、電力会社や原子力発電所の関係者、交通関係、行政関係などの方々、ご自身やご家族が被災者でもあられる場合が多いのではないかと、心配しています。
目の前のことを必死で取り組んでいる方々に心から感謝し、メディア含めて決して足を引っ張ったり批判ばかりすることなく、私たちができることを一つでも協力し、少しでも解決的に、支援につながる心持ちで向き合うべき時ではないでしょうか。
2011年3月9日水曜日
閑話休題 映画時評
このところ堅い内容が続いたので、
久しぶりに映画の感想などをつづってみたい。
「毎日かあさん」(2010)
家族が大変気に入っている漫画で、このたび映画化されたとのこと、久々に一緒に観劇した。
原作漫画よりもハードな内容で、アルコール依存症に陥った戦場カメラマンと家族の闘病生活記、ともいえるだろう。
トラウマやアディクションのすさまじさを、「笑い」が少しだけ緩和してくれる。
子どもたちの演技がずいぶんナチュラルだったが、エンドロールとともに流れるスナップショット(主演男優撮影)からも、現場の良い関係性がうかがえた。
印象に残るシーンに、妻が身重の時、公園で夫が、おもちゃのピストルで遊んでいる他の子どもから、本物のピストルと思い込んで取り上げてしまう場面がある。
同じような年代の子どもが、拳銃で死んでいく姿を、リアルに回想する夫。
怖いものを見るように抗議して去っていく、その子の母親。
「もうこの公園にはこれないね」と冷静にいう妻。
いまも世界のどこかで、こうした悲劇は起きているのだろう。
「ハートロッカー」(2009)
テロとの戦いの真実を、ドキュメンタリータッチで描いた「名作」、
今ここに、その戦場を体験しているような、体の芯がむずむずと震える、そんな力がある映画だ。
冷たく、どこか熱く、怖くて、あきらめにも似た、マヒするような、乾いた景色。
冒頭に、「戦争は依存する」というテロップが流れる。
兵士たちの会話や態度が、ナチュラルでリアルなだけに、インパクトが強い。
爆弾処理に静かに取りつかれる主人公は、ディアハンター(my favorite)でクリストファー・ウォーケンが演じた、有名なRルーレットのシーンを彷彿とさせる。
帰国したアメリカのスーパーには、豊富な食品が積み上げられており、イラクとは別天地だ。
小さいわが子と遊ぶ彼は、子どもの頃に興味のあるものはだんだん色あせていく、と語りかける。
そしてまた、新たな戦場で、特殊な服を着て、爆弾を処理する。
「プレシャス」(2009)
これは上と違った意味で、まさしく戦場の映画。
ハーレムの黒人の女子、16歳、2度目の妊娠、中学を辞めさせられる。
義理父からの性虐待の被害者で、母親からの心理身体虐待も続いている。
第一子はダウン症だが、引き取れずに祖母が育てている。
解離とも言える、白昼夢だけが救い、そのファンタジーは見るものも救ってくれる。
母は福祉のお金を取るために、彼女に様々な偽装をさせる。
食事を作らせ、食べ物を強要し、暴言を吐く。
学ぶことへの萌芽を、あきらめと憎しみの力で押しつぶす。
しかし、ロールモデルとなる女性教師や同じような逆境にある友人と出会い、第2子を出産し、施設で生活しつつ、彼女は次第に自立していく。
母が虐待の歴史を語る場面は、圧巻である。
HIVに感染していることが分かった彼女だが、
人としての誇りを胸に、
子ども二人を抱え、
しっかりと足を踏み出す。
どれもシリアスな内容の映画になってしまったが、心に響くのは、やはりこうした映画である。
久しぶりに映画の感想などをつづってみたい。
「毎日かあさん」(2010)
家族が大変気に入っている漫画で、このたび映画化されたとのこと、久々に一緒に観劇した。
原作漫画よりもハードな内容で、アルコール依存症に陥った戦場カメラマンと家族の闘病生活記、ともいえるだろう。
トラウマやアディクションのすさまじさを、「笑い」が少しだけ緩和してくれる。
子どもたちの演技がずいぶんナチュラルだったが、エンドロールとともに流れるスナップショット(主演男優撮影)からも、現場の良い関係性がうかがえた。
印象に残るシーンに、妻が身重の時、公園で夫が、おもちゃのピストルで遊んでいる他の子どもから、本物のピストルと思い込んで取り上げてしまう場面がある。
同じような年代の子どもが、拳銃で死んでいく姿を、リアルに回想する夫。
怖いものを見るように抗議して去っていく、その子の母親。
「もうこの公園にはこれないね」と冷静にいう妻。
いまも世界のどこかで、こうした悲劇は起きているのだろう。
「ハートロッカー」(2009)
テロとの戦いの真実を、ドキュメンタリータッチで描いた「名作」、
今ここに、その戦場を体験しているような、体の芯がむずむずと震える、そんな力がある映画だ。
冷たく、どこか熱く、怖くて、あきらめにも似た、マヒするような、乾いた景色。
冒頭に、「戦争は依存する」というテロップが流れる。
兵士たちの会話や態度が、ナチュラルでリアルなだけに、インパクトが強い。
爆弾処理に静かに取りつかれる主人公は、ディアハンター(my favorite)でクリストファー・ウォーケンが演じた、有名なRルーレットのシーンを彷彿とさせる。
帰国したアメリカのスーパーには、豊富な食品が積み上げられており、イラクとは別天地だ。
小さいわが子と遊ぶ彼は、子どもの頃に興味のあるものはだんだん色あせていく、と語りかける。
そしてまた、新たな戦場で、特殊な服を着て、爆弾を処理する。
「プレシャス」(2009)
これは上と違った意味で、まさしく戦場の映画。
ハーレムの黒人の女子、16歳、2度目の妊娠、中学を辞めさせられる。
義理父からの性虐待の被害者で、母親からの心理身体虐待も続いている。
第一子はダウン症だが、引き取れずに祖母が育てている。
解離とも言える、白昼夢だけが救い、そのファンタジーは見るものも救ってくれる。
母は福祉のお金を取るために、彼女に様々な偽装をさせる。
食事を作らせ、食べ物を強要し、暴言を吐く。
学ぶことへの萌芽を、あきらめと憎しみの力で押しつぶす。
しかし、ロールモデルとなる女性教師や同じような逆境にある友人と出会い、第2子を出産し、施設で生活しつつ、彼女は次第に自立していく。
母が虐待の歴史を語る場面は、圧巻である。
HIVに感染していることが分かった彼女だが、
人としての誇りを胸に、
子ども二人を抱え、
しっかりと足を踏み出す。
どれもシリアスな内容の映画になってしまったが、心に響くのは、やはりこうした映画である。
2011年3月2日水曜日
当事者研究への期待にふれて
先日の心理教育家族教室ネットワーク研究会で、当事者研究における新たな試みに接する機会をいただいた。
当事者研究そのものが、まだまだ広く認知されているとは言い難い。
そんな状況で、
暗黙知を形式知に高めるマーケティング概念を、当事者ムーブメントに援用する試みや、
闘病記に代表されるナラティブ研究の価値を、貴重な経験や知恵の集積として強調する活動に、
果敢に取り組んでいる方々がおられた。
それら詳細は、機会があれば紹介したいが、有名な「べてる」の活動を、社会学的に、というより発展するコミュニティの物語として見直そうという発表、ともとらえられよう。
個人的には、日頃感じている共同研究(当事者、専門家)の可能性に、あらためてこころひかれた。
良きこと、善きものは、静かに広がっている、そんなエネルギーもいただいた。
さて、ランチョンセッションでは、これまでにない試みであるが、
統合失調症のご家族から、苦闘の歴史を、直接言葉として伺う機会もあった。
そうした困難な体験から、建設的なビジョンをつなげる姿勢に、畏敬の念を抱いた。
研究会を開催された東京女子医大のスタッフ・関係者のみなさんに、感謝申し上げたい。
当事者研究そのものが、まだまだ広く認知されているとは言い難い。
そんな状況で、
暗黙知を形式知に高めるマーケティング概念を、当事者ムーブメントに援用する試みや、
闘病記に代表されるナラティブ研究の価値を、貴重な経験や知恵の集積として強調する活動に、
果敢に取り組んでいる方々がおられた。
それら詳細は、機会があれば紹介したいが、有名な「べてる」の活動を、社会学的に、というより発展するコミュニティの物語として見直そうという発表、ともとらえられよう。
個人的には、日頃感じている共同研究(当事者、専門家)の可能性に、あらためてこころひかれた。
良きこと、善きものは、静かに広がっている、そんなエネルギーもいただいた。
さて、ランチョンセッションでは、これまでにない試みであるが、
統合失調症のご家族から、苦闘の歴史を、直接言葉として伺う機会もあった。
そうした困難な体験から、建設的なビジョンをつなげる姿勢に、畏敬の念を抱いた。
研究会を開催された東京女子医大のスタッフ・関係者のみなさんに、感謝申し上げたい。
2011年2月16日水曜日
世界自閉症啓発デー県関連行事 映画「ぼくはうみをみたくなりました」
映画「ぼくはうみをみたくなりました」上映会&障害特性の説明・映画解説のおしらせ
日時:平成23年3月23日(水) 午後6時30分~午後8時45分(受付 午後6時~)
場所:群馬会館 ホール 前橋市大手町2-1-1(TEL 027-226-4850)
主催:群馬県障害政策課 群馬県自閉症協会定員:300名(先着順) ※どなたでも参加できます。(参加費無料)
内容趣旨:国連が定めた「世界自閉症啓発デー」(4月2日)に関連し、自閉症などの発達障害の正しい理解の促進と啓発を図るため、主人公と自閉症青年との交流を描いた映画「ぼくはうみがみたくなりました」(2009「ぼくはうみがみたくなりました」製作実行委員会)の上映会を開催します。なお、上映後、自閉症特性の説明や映画解説を行い、障害への理解を深めます。
申込:下記のいずれかで、住所(又は所属名)、氏名、電話番号、FAX番号、全体参加人数をお知らせください。
(1)県庁障害政策課(映画担当)あて電話(TEL 027-226-2638)
(2)県庁障害政策課(映画担当)あてFAX送信(FAX 027-224-4776)
(3)ぐんま電子申請等受付システムで電子申請(県ホームページから)
参考:
(1)映画「ぼくはうみがみたくなりました」について 自閉症の青年と、自閉症に対する正しい知識のない看護学生の主人公が、偶然、海へ向かう旅に出てしまい、そこで様々な人々とめぐり合うハートウォーミングな人間ドラマです。「自閉症」という、あまり知られていない障害に焦点を当て、一人の自閉症の青年を取り巻く人々の人生や心の成長を、時にユーモラスに、時に厳しく、そして温かく描き出した作品です。なお、本作品の企画・原作・脚本は、自閉症の子を持った父親です。映画公式サイト http://bokuumi.com/
(2)「世界自閉症啓発デー」について「世界自閉症啓発デー」は、平成19年12月18日の国連総会において、毎年4月2日を「世界自閉症啓発デー」(World Autism Awareness Day)とすることが決議されたもので、この日を記念し、自閉症に対する一人ひとりの理解が深まり、自閉症の人々にとっても暮らしやすい社会となることをめざし、世界各地において自閉症に関する啓発の取り組みが行われます。 本県では、これに先立ち、自閉症の正しい理解の普及・啓発を目的に、本映画の上映会を開催するものです。
お問い合わせ:県健康福祉部障害政策課
日時:平成23年3月23日(水) 午後6時30分~午後8時45分(受付 午後6時~)
場所:群馬会館 ホール 前橋市大手町2-1-1(TEL 027-226-4850)
主催:群馬県障害政策課 群馬県自閉症協会定員:300名(先着順) ※どなたでも参加できます。(参加費無料)
内容趣旨:国連が定めた「世界自閉症啓発デー」(4月2日)に関連し、自閉症などの発達障害の正しい理解の促進と啓発を図るため、主人公と自閉症青年との交流を描いた映画「ぼくはうみがみたくなりました」(2009「ぼくはうみがみたくなりました」製作実行委員会)の上映会を開催します。なお、上映後、自閉症特性の説明や映画解説を行い、障害への理解を深めます。
申込:下記のいずれかで、住所(又は所属名)、氏名、電話番号、FAX番号、全体参加人数をお知らせください。
(1)県庁障害政策課(映画担当)あて電話(TEL 027-226-2638)
(2)県庁障害政策課(映画担当)あてFAX送信(FAX 027-224-4776)
(3)ぐんま電子申請等受付システムで電子申請(県ホームページから)
参考:
(1)映画「ぼくはうみがみたくなりました」について 自閉症の青年と、自閉症に対する正しい知識のない看護学生の主人公が、偶然、海へ向かう旅に出てしまい、そこで様々な人々とめぐり合うハートウォーミングな人間ドラマです。「自閉症」という、あまり知られていない障害に焦点を当て、一人の自閉症の青年を取り巻く人々の人生や心の成長を、時にユーモラスに、時に厳しく、そして温かく描き出した作品です。なお、本作品の企画・原作・脚本は、自閉症の子を持った父親です。映画公式サイト http://bokuumi.com/
(2)「世界自閉症啓発デー」について「世界自閉症啓発デー」は、平成19年12月18日の国連総会において、毎年4月2日を「世界自閉症啓発デー」(World Autism Awareness Day)とすることが決議されたもので、この日を記念し、自閉症に対する一人ひとりの理解が深まり、自閉症の人々にとっても暮らしやすい社会となることをめざし、世界各地において自閉症に関する啓発の取り組みが行われます。 本県では、これに先立ち、自閉症の正しい理解の普及・啓発を目的に、本映画の上映会を開催するものです。
お問い合わせ:県健康福祉部障害政策課
2011年2月9日水曜日
過去コラムより、再び-英国の試みに学ぶ
こどものこころの医療が必要(2008年時点での記述で、その後診療報酬上の手当てがなされたことを付記する)
ユニセフによれば、この20年間に戦争や災害で死亡もしくは何らかの身体的障害をこうむった子供は数百万人に及び、正規従軍兵士の被害を裕に越えているという。これはあくまで身体的事態に限った数字であり、精神的障害や心理的後遺症は考慮されていない。こうした子供たちが体も心も健全に発達してほしいと願う一方で、彼らの未来に社会や大人が与える影響や可能性にも考えが至る。事実、わが国では虐待事例が増加し、その質的変貌が指摘されている。猟奇的かつ凶悪な少年犯罪が日々報道され、子供をめぐる異常な事態に危機感が高まっている。傷ついた子供たちの支援のみならず、彼らを見守りはぐくむ大人社会への適切なかかわりも求められている。
しかし、こどものこころの発達を支援する医学的活動にかかわる専門家の現状は、惨憺たるものがある。わが国の児童精神科医の数だけを見ても、学会認定専門医は全国で113名前後であり(2005年)、児童精神科専門病棟は全国で20ヶ所未満にとどまっている(2007年)。小児(児童)精神科専門の外来を開設する機運は強まっているが、これは社会のニーズや当事者側の要請が後押ししているのであって、専門家そのものが少なく、後進育成や養成機関がほとんどない状況に、どこも相違はないだろう。
たとえば、群馬県も例外でない。児童相談所における児童虐待の通報件数は、昨年度半ばですでに一昨年度の200%近いという(2007年)。法律制定に伴う県発達支援センターが開設されたが、専門相談員が大幅に増えたわけでなく、医師に至っては嘱託で賄われている。この領域が高い専門性を必要とされるのは、臨床の適応となる問題の複雑さ、一般精神医学と異なる特殊な病態への理解に加え、子供・親を含めた家族および学校教育関係者に同時並行的にかかわる必要性など、時間的・労力的な負担によるところも大きい。県内医療関係者で、発達障害や児童期の精神心理的障害・問題(不登校なども含め)に対応しているのは、数少ない有志の精神科・小児科医などであり、医療保険制度上なんらメリットのないこの領域を好んで専門とする学徒が増える可能性は少ない。大学で児童精神医学にかかわる専門医育成システムを構築してほしいとうニーズは内外から高く、大学であるが故に担うべき研究的課題も枚挙に暇がない。畢竟、小児の心身保健向上に大きく寄与する活動の一つであり、我々にとって火急の責務といえる。
先日、英国で行われている格差社会対策がNHKで紹介された。その一環として、街に徘徊したむろする青少年に対し、非機能的な家族状況(親)から離れて就業支援を行う活動がクローズアップされた。ここに登場する、いるいわゆる不良やニートたちは、それぞれ家族に様々な問題を抱えている。たとえば、経済不況による親の無就業、家族の薬物やアルコール問題、ネグレクトやDV、反社会集団との接近など。街中で専門職員が積極的に彼らに声をかけ、公的な就労技術教育へと熱意をこめて導く。感情が麻痺しうつろな目をした青少年が、半年後には表情や言動が劇的に生き生きと変化し、「本当はこんなに無邪気な子供たちだったのか」、という事実に、見るものは気づかされるだろう。親や家族ができないこと、親族や地域が担えないこと、(日本ではこうしたかかわりを教育現場に要望する無理な期待もあるが)、そこに適切な財源を投じ、若いうちに芽を育てる(悪い影響を摘む)。彼らが人間的な支援をうけないまま青年期を向かえれば、様々な心理的・社会的行動上の問題を呈することは、当たり前の必然ともいえよう。後向きに対応する社会的コスト(教育、福祉、医療、時に司法)を考えると、早い段階での援助は費用に比した効果が高いだろう。それは、もしかしたら非行や犯罪、自傷や他害、薬物や虐待の連鎖、といった悪循環の早期介入につながるのではないか。
ここに見る社会支援・防衛の在り方は、「家族の崩壊」「コミュニティーの再生」を前提としている。残念ながら育む力をもたない「家族」には、そこに所属せざるをえない子供たちが自他に悪影響を及ぶ前に、社会が子供達に力と技能を与える。はやければはやいほど、コストパフォーマンスはよかろう。社会が被る様々な不利益を、より早期に彼らを支えることで、むしろ彼らが社会に貢献できるよう導く。 もちろん、青年期にいたって起こるさまざまな心理的行動上の問題(衝動行為、家庭内暴力、過量服薬、など)が、すべて家族や養育のせい、と言いたいわけではない。しかし、思春期以降問題となる人格障害類似の振り回し行動のため、医療・司法・教育現場のリソースが浪費・疲弊する悪循環は、いずれにせよ大変難しい課題である。
その取り組みの一つとして、発達の個別性に着目し、養育保育への適切な早期関与、親・家族への啓蒙とサポート、教育現場での支援体制の向上、などに資源を投じ、専門家が機能的に連携してかかわれるようシステムと人材を再構築できないだろうか。こうした連鎖に、少しでも歯止めがかけられないだろうか。個人的には、このような文脈においても、児童精神医学心理学(特に乳幼児精神医学)を推進する社会的意義があると思っている。これは、境界例や発達障害の支援の在り方に、一脈通じるところもあるだろう。
こどものこころの医療にかかるコストは、未来の人格障害を減らし、虐待の連鎖を防ぎ、残念な事故や事件を減らすことに寄与するのかもしれない。
(2008)
ユニセフによれば、この20年間に戦争や災害で死亡もしくは何らかの身体的障害をこうむった子供は数百万人に及び、正規従軍兵士の被害を裕に越えているという。これはあくまで身体的事態に限った数字であり、精神的障害や心理的後遺症は考慮されていない。こうした子供たちが体も心も健全に発達してほしいと願う一方で、彼らの未来に社会や大人が与える影響や可能性にも考えが至る。事実、わが国では虐待事例が増加し、その質的変貌が指摘されている。猟奇的かつ凶悪な少年犯罪が日々報道され、子供をめぐる異常な事態に危機感が高まっている。傷ついた子供たちの支援のみならず、彼らを見守りはぐくむ大人社会への適切なかかわりも求められている。
しかし、こどものこころの発達を支援する医学的活動にかかわる専門家の現状は、惨憺たるものがある。わが国の児童精神科医の数だけを見ても、学会認定専門医は全国で113名前後であり(2005年)、児童精神科専門病棟は全国で20ヶ所未満にとどまっている(2007年)。小児(児童)精神科専門の外来を開設する機運は強まっているが、これは社会のニーズや当事者側の要請が後押ししているのであって、専門家そのものが少なく、後進育成や養成機関がほとんどない状況に、どこも相違はないだろう。
たとえば、群馬県も例外でない。児童相談所における児童虐待の通報件数は、昨年度半ばですでに一昨年度の200%近いという(2007年)。法律制定に伴う県発達支援センターが開設されたが、専門相談員が大幅に増えたわけでなく、医師に至っては嘱託で賄われている。この領域が高い専門性を必要とされるのは、臨床の適応となる問題の複雑さ、一般精神医学と異なる特殊な病態への理解に加え、子供・親を含めた家族および学校教育関係者に同時並行的にかかわる必要性など、時間的・労力的な負担によるところも大きい。県内医療関係者で、発達障害や児童期の精神心理的障害・問題(不登校なども含め)に対応しているのは、数少ない有志の精神科・小児科医などであり、医療保険制度上なんらメリットのないこの領域を好んで専門とする学徒が増える可能性は少ない。大学で児童精神医学にかかわる専門医育成システムを構築してほしいとうニーズは内外から高く、大学であるが故に担うべき研究的課題も枚挙に暇がない。畢竟、小児の心身保健向上に大きく寄与する活動の一つであり、我々にとって火急の責務といえる。
先日、英国で行われている格差社会対策がNHKで紹介された。その一環として、街に徘徊したむろする青少年に対し、非機能的な家族状況(親)から離れて就業支援を行う活動がクローズアップされた。ここに登場する、いるいわゆる不良やニートたちは、それぞれ家族に様々な問題を抱えている。たとえば、経済不況による親の無就業、家族の薬物やアルコール問題、ネグレクトやDV、反社会集団との接近など。街中で専門職員が積極的に彼らに声をかけ、公的な就労技術教育へと熱意をこめて導く。感情が麻痺しうつろな目をした青少年が、半年後には表情や言動が劇的に生き生きと変化し、「本当はこんなに無邪気な子供たちだったのか」、という事実に、見るものは気づかされるだろう。親や家族ができないこと、親族や地域が担えないこと、(日本ではこうしたかかわりを教育現場に要望する無理な期待もあるが)、そこに適切な財源を投じ、若いうちに芽を育てる(悪い影響を摘む)。彼らが人間的な支援をうけないまま青年期を向かえれば、様々な心理的・社会的行動上の問題を呈することは、当たり前の必然ともいえよう。後向きに対応する社会的コスト(教育、福祉、医療、時に司法)を考えると、早い段階での援助は費用に比した効果が高いだろう。それは、もしかしたら非行や犯罪、自傷や他害、薬物や虐待の連鎖、といった悪循環の早期介入につながるのではないか。
ここに見る社会支援・防衛の在り方は、「家族の崩壊」「コミュニティーの再生」を前提としている。残念ながら育む力をもたない「家族」には、そこに所属せざるをえない子供たちが自他に悪影響を及ぶ前に、社会が子供達に力と技能を与える。はやければはやいほど、コストパフォーマンスはよかろう。社会が被る様々な不利益を、より早期に彼らを支えることで、むしろ彼らが社会に貢献できるよう導く。 もちろん、青年期にいたって起こるさまざまな心理的行動上の問題(衝動行為、家庭内暴力、過量服薬、など)が、すべて家族や養育のせい、と言いたいわけではない。しかし、思春期以降問題となる人格障害類似の振り回し行動のため、医療・司法・教育現場のリソースが浪費・疲弊する悪循環は、いずれにせよ大変難しい課題である。
その取り組みの一つとして、発達の個別性に着目し、養育保育への適切な早期関与、親・家族への啓蒙とサポート、教育現場での支援体制の向上、などに資源を投じ、専門家が機能的に連携してかかわれるようシステムと人材を再構築できないだろうか。こうした連鎖に、少しでも歯止めがかけられないだろうか。個人的には、このような文脈においても、児童精神医学心理学(特に乳幼児精神医学)を推進する社会的意義があると思っている。これは、境界例や発達障害の支援の在り方に、一脈通じるところもあるだろう。
こどものこころの医療にかかるコストは、未来の人格障害を減らし、虐待の連鎖を防ぎ、残念な事故や事件を減らすことに寄与するのかもしれない。
(2008)
2011年2月2日水曜日
NIRSがNature Newsで取り上げられました
Neuroscience: Thought experiment
Japanese hospitals are using near-infrared imaging to help diagnose psychiatric disorders. But critics are not sure the technique is ready for the clinic.
Published online 12 January 2011 Nature 469, 148-149 (2011) doi:10.1038/469148a
こちらの公式サイトで、ダウンロードできます
http://www.nature.com/news/2011/110112/full/469148a.html
Japanese hospitals are using near-infrared imaging to help diagnose psychiatric disorders. But critics are not sure the technique is ready for the clinic.
Published online 12 January 2011 Nature 469, 148-149 (2011) doi:10.1038/469148a
こちらの公式サイトで、ダウンロードできます
http://www.nature.com/news/2011/110112/full/469148a.html
2011年1月28日金曜日
つたわらないむなしさ
発達障害に関する講演などで、コミュニケーションが伝わらないつらさや、すれ違いの苦しさについて語る専門家は少なくなかろう。
熱心に話しても、かなしいかな、難しいわけのわからないメンタルの問題、専門家や医者がどうにかせい、といったオーディエンスの反応もある。
理解や共感、頭ではわかるが、実際どうするの?
そんな個別指導など無理、第一危ないことが起きたら、責任の所在は?
といった、社会防衛的な意見も浴びせられる。
ちなみに、拝聴した放送大学の人格心理学講義からの受け売りだが、
ナチの基本哲学は、人格の向上、よりよい人間性、菜食主義など自然とともに過ごす、健全な娯楽、などだったそうだ。
それが昂じ、優性主義やジェノサイドに結び付いたという。
「天国への道は悪意で敷き詰められている」、の真逆か?
大量虐殺は、決して狂気ではなく、強すぎる理性から導かれた、という指摘であった。
前段に戻ると、「すくなからぬオーディエンス」が我々に求めている「本音」、もしかしたら、いや、やはり、、
そうした問題、そちらで引き受けてくれ、トラブルは引き取ってくれ、治らないならやめるよう説得くしてくれ、はたまた不適格の鈴をかけてくれ、、、なのかも、、、しれないなー。
しかし、20世紀におきた、排除の理論を繰り返してはなるまい。
ある講演の後、司会者からこんな感想を面前で浴びせられた。
「発達障害、聞けば聞くほど余計わからなくなりました」
んんん、ここまでダイレクト、素直に言われると、返す言葉がない。
わかったようなことを言うよりも、良心的かもしれないが。
ここまであからさまな公の批判をうけたのは初めてで、ややショック、、
自分なりに尽力してきたつもりなのだが、
日ごろあまりよい感情を持っていない場所だっただけに、
無意識にそんなニュアンスが伝わったのかもしれない。
自らの無力と未熟さを、痛感させられた。
しばし、反省。
2011年1月26日水曜日
過去コラムより再び-問題は、はたして問題なのだろうか?(2005)
「問題」ははたして問題なのだろうか?
‐G8と長崎の児童殺害事件から、「解決志向」を再認する
アメリカ南部・ジョージア州は、すでに夏の気候だろう。リゾートの島シーアイランドで、先進国首脳会議G8が開かれた。アメリカは独仏露と歩みより、というよりも妥協をして、イラクへの多国籍軍としての派遣と、統治に向けた新たな枠組みを模索している。
そもそもアメリカの一国主義、覇権主義が今回の事態を招いた一つの要因であることは、衆目の一致するところであろう。アメリカ型民主主義、自由主義が、健康で正義であり、イラクを始めとするイスラム社会などは、病理や異常を抱えている、という問題志向的な視点が根本にあるように思えてならない。さらには古いヨーロッパやアジアの伝統しきたり、リベラルな主張など、合い入れないものは、わからない、わからないものは、悪い、といった、短絡的志向にアメリカ国民が陥っている(もしくは、陥っていた)、フランスワインをボイコットした行為などにも、良く見て取れる。
これはアメリカ人だけのことではない。ふりかえれば、我々の日常の考え方や視点も、問題となる点を見つけその原因を探り、それを何とか除去しようとするところが多々ある。そうした基本的な点は、国は違えども結構共通している。そうした考えの向こうには、必ず正しいあり方、健康な姿、といった、欠点なき像を見据えていることが多い。なんだか、キリスト教の天国、仏教のあの世、みたいなものを想像できるかもしれない。
さて、現実にはたして欠点や問題や病理のない人間、組織、社会、世界はあるのだろうか。アメリカ社会は、たしかに夢と希望にあふれ、物と豊かさと、優越感に満ちている。しかし、まさしく今のアメリカに生きるマイケルムーアが風刺しているように、銃や犯罪、麻薬、人種差別、貧富の格差、などなど、「問題」や「病理」も併存している。
医学も、病気の原因、病理を見つけ、それを除去することで発展してきたし、実際そうした教育を行っている。手術や薬で病気の元をたつ、というわけだ。ただし、病気は決して悪ばかりでないのは、風邪をひいたときの熱を考えれば明らかだ。外からの異物を排除する体の免疫力が、結果として熱を生み出している。不快ではあるが、これは大切なしるしでもある。事実、今の風邪の治療は、あまり解熱剤を用いない。
問題志向により、医学も社会も国も覇権主義に陥りやすい。こちら側が「正しい」と判断することを、あちらが側から見ても同じに見えると思って、おしつけてしまう。熱は平熱の人間を基準にすると問題だが、力強い免疫サインの基準とすると大変良い反応性、ということになる。一方、解決志向では相手のやりかたや工夫を尊重する。そもそもこちらには問題に見えても、あちらではそれが解決になっている、という視点で臨む。構成主義(コンストラクティビズム)*といわれる立場では、相手をまず信頼するし、相手からもきっと信頼される。
最近児童による凄惨な事件が起きた。あくまで報道された情報を信じてそれに頼るなら、加害児童は「いいこ」「普通の子」「誰にも良く挨拶する子」「明るい活発な子」で、「問題のない子」であったという。児童はそもそも親や周囲の保護が必要で、だから当然刑事責任も問われない。それは、子供は未熟で、まだ発達の途上にあり、大人でないからである。いいかえると子供は「問題」をおこすから子供であり、「問題」があってこそ子供なのである。生まれたとたん訳知りの顔で大人顔負けの人生訓を持っていたなら、これこそ奇怪で狂態であろう。小学生が誰にでも明るく気を使って、迷惑をかけない、それは果たして問題がないことなのだろうか。この時期は問題があってこその存在で、それは実は「問題」ではなく、もしかしたら子供らしさそのものであり、発達や成長の糧といえないだろうか。外に起こせない問題を、内に起こしていたら?これはまさしく悲劇を生む。
清濁併せ持つという言葉があるが、我々生態は細菌やウイルスとまさしく同居しており、全くの無菌環境では抵抗力がなくなってしまう。純血のペットは病気にかかりやすく、雑種のほうが力強いことは良く知られている。そもそも日本國は、奈良や平安時代に様々な異文化と交流を重ね、日本独自の文化の一時代が作られた。一方、鎖国時代には社会は安定したが、日本が進歩し花開いたとはいいがたい部分がある。かのアメリカさえも、様々な人種が力を合わせることで、今のパワーを維持している。
細胞も、体も、家族も、地域も、国も、社会も、そして世界も、さまざまな価値観、人種、文化、考え、そして清濁併せ持つことで、いわゆる健全に機能するのだろう。そう考えると、やはり問題は解決のみなもと、大事なヒントだとつくづく思うのである。
だからこそ、子供達が問題をおそれず大人に顕してほしいし、それをびくびくせず、過剰に目くじら立てず、向き合える大人でありたい。でも正しいことは正しい、と力強く言い合える社会に戻ってほしいと、つかれた中年は祈るのである。
(2005)
社会構築主義(社会的構築主義、社会構成主義、social constructionism or social constructivism):現実、つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、すべて人々の頭の中(感情や意識の中で)作り上げられたものであり、それを離れては存在しないと考える、社会学の一つの立場である。社会的構築物とは、それを受け容れている人々にとっては自然で明白なものに思えるが、実際には特定の文化や社会で人工的に造られたにすぎない観念となる。
‐G8と長崎の児童殺害事件から、「解決志向」を再認する
アメリカ南部・ジョージア州は、すでに夏の気候だろう。リゾートの島シーアイランドで、先進国首脳会議G8が開かれた。アメリカは独仏露と歩みより、というよりも妥協をして、イラクへの多国籍軍としての派遣と、統治に向けた新たな枠組みを模索している。
そもそもアメリカの一国主義、覇権主義が今回の事態を招いた一つの要因であることは、衆目の一致するところであろう。アメリカ型民主主義、自由主義が、健康で正義であり、イラクを始めとするイスラム社会などは、病理や異常を抱えている、という問題志向的な視点が根本にあるように思えてならない。さらには古いヨーロッパやアジアの伝統しきたり、リベラルな主張など、合い入れないものは、わからない、わからないものは、悪い、といった、短絡的志向にアメリカ国民が陥っている(もしくは、陥っていた)、フランスワインをボイコットした行為などにも、良く見て取れる。
これはアメリカ人だけのことではない。ふりかえれば、我々の日常の考え方や視点も、問題となる点を見つけその原因を探り、それを何とか除去しようとするところが多々ある。そうした基本的な点は、国は違えども結構共通している。そうした考えの向こうには、必ず正しいあり方、健康な姿、といった、欠点なき像を見据えていることが多い。なんだか、キリスト教の天国、仏教のあの世、みたいなものを想像できるかもしれない。
さて、現実にはたして欠点や問題や病理のない人間、組織、社会、世界はあるのだろうか。アメリカ社会は、たしかに夢と希望にあふれ、物と豊かさと、優越感に満ちている。しかし、まさしく今のアメリカに生きるマイケルムーアが風刺しているように、銃や犯罪、麻薬、人種差別、貧富の格差、などなど、「問題」や「病理」も併存している。
医学も、病気の原因、病理を見つけ、それを除去することで発展してきたし、実際そうした教育を行っている。手術や薬で病気の元をたつ、というわけだ。ただし、病気は決して悪ばかりでないのは、風邪をひいたときの熱を考えれば明らかだ。外からの異物を排除する体の免疫力が、結果として熱を生み出している。不快ではあるが、これは大切なしるしでもある。事実、今の風邪の治療は、あまり解熱剤を用いない。
問題志向により、医学も社会も国も覇権主義に陥りやすい。こちら側が「正しい」と判断することを、あちらが側から見ても同じに見えると思って、おしつけてしまう。熱は平熱の人間を基準にすると問題だが、力強い免疫サインの基準とすると大変良い反応性、ということになる。一方、解決志向では相手のやりかたや工夫を尊重する。そもそもこちらには問題に見えても、あちらではそれが解決になっている、という視点で臨む。構成主義(コンストラクティビズム)*といわれる立場では、相手をまず信頼するし、相手からもきっと信頼される。
最近児童による凄惨な事件が起きた。あくまで報道された情報を信じてそれに頼るなら、加害児童は「いいこ」「普通の子」「誰にも良く挨拶する子」「明るい活発な子」で、「問題のない子」であったという。児童はそもそも親や周囲の保護が必要で、だから当然刑事責任も問われない。それは、子供は未熟で、まだ発達の途上にあり、大人でないからである。いいかえると子供は「問題」をおこすから子供であり、「問題」があってこそ子供なのである。生まれたとたん訳知りの顔で大人顔負けの人生訓を持っていたなら、これこそ奇怪で狂態であろう。小学生が誰にでも明るく気を使って、迷惑をかけない、それは果たして問題がないことなのだろうか。この時期は問題があってこその存在で、それは実は「問題」ではなく、もしかしたら子供らしさそのものであり、発達や成長の糧といえないだろうか。外に起こせない問題を、内に起こしていたら?これはまさしく悲劇を生む。
清濁併せ持つという言葉があるが、我々生態は細菌やウイルスとまさしく同居しており、全くの無菌環境では抵抗力がなくなってしまう。純血のペットは病気にかかりやすく、雑種のほうが力強いことは良く知られている。そもそも日本國は、奈良や平安時代に様々な異文化と交流を重ね、日本独自の文化の一時代が作られた。一方、鎖国時代には社会は安定したが、日本が進歩し花開いたとはいいがたい部分がある。かのアメリカさえも、様々な人種が力を合わせることで、今のパワーを維持している。
細胞も、体も、家族も、地域も、国も、社会も、そして世界も、さまざまな価値観、人種、文化、考え、そして清濁併せ持つことで、いわゆる健全に機能するのだろう。そう考えると、やはり問題は解決のみなもと、大事なヒントだとつくづく思うのである。
だからこそ、子供達が問題をおそれず大人に顕してほしいし、それをびくびくせず、過剰に目くじら立てず、向き合える大人でありたい。でも正しいことは正しい、と力強く言い合える社会に戻ってほしいと、つかれた中年は祈るのである。
(2005)
社会構築主義(社会的構築主義、社会構成主義、social constructionism or social constructivism):現実、つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、すべて人々の頭の中(感情や意識の中で)作り上げられたものであり、それを離れては存在しないと考える、社会学の一つの立場である。社会的構築物とは、それを受け容れている人々にとっては自然で明白なものに思えるが、実際には特定の文化や社会で人工的に造られたにすぎない観念となる。
2011年1月19日水曜日
過去コラムよりふたたび-冷凍催眠にみる未来像(2004)
冷凍睡眠にみる未来像‐バニラスカイと夏の扉
最近、バニラスカイという映画を衛生放送で見た。トム・クルーズとペネロペ・クルスが競演していることで、ゴシップ的にも有名になったアメリカ映画であるが、オリジナルはスペイン映画だそうだ。標題は、バニラ色の心地よい空、まるで印象派の絵のような風景を意味するらしい。映画の最後で、まさしく、やわらかな夕焼けとして描かれている。しかしその内容は、夢と現実が入り混じり、かなり手の込んだエキセントリックな作りになっている。しかし何の事はない、主題は1950年代のハインラインの名作、「夏の扉」*と酷似している。
科学の進歩で、人は不老不利を目指す。その手段の一つは、冷凍睡眠である。今でいう保険会社のような冷凍睡眠会社が、夢のような未来を保障する。夏の扉では、自ら様々な進歩的な発明を生きがいとする科学者が、恋人と友人に裏切られ、会社と発明をのっとられ、失意の中相猫と冷凍睡眠に入る。目がさめた世界は、ハインラインが執筆した時代の50年後、すなわち我々にとっての今、現代である。そこには、たとえば風邪は存在しない。かれはここで愛する唯一の身内である姪の危機を知り、なんとか過去に戻ろうとする。そこで登場するのはタイムマシンであるが、ここからは本題にそれるので、ぜひこの名著にあたってほしい。
さてバニラスカイに話を戻そう。この映画でも、親から会社を継いだ遊び人ヤッピーの2世が、女性がらみのトラブルで大怪我をし、失意のどん底で冷凍保存に契約する。描かれるのは実は多くが冷凍中の夢の中の出来事、すなわち脳の中で起こっているバーチャルリアリティである。しかし観客はそれを知らぬまま、夢と現実の狭間で主人公の感じる当惑を共有する。最終的にトムクルーズ演じる主人公は、150年後の現実に生きることを選ぶが、はたして150年後がどうなっているか、それは一切現実としては描かれていない。ここはハインラインの足元に及ばない。いずれにせよ、冷凍保存で不老不死の未来に行こう、という趣旨は同じなのだ。
ハインラインの描く未来には、様々なテクノロジーの進歩が具体的に記述されている。既に実現化されている便利な機械、例えば携帯電話やインターネットなどがあるし、彼が描いた以上の進歩も実際は存在する。しかし、一方で彼の描いた未来では、テクノロジーがより良い人間社会に貢献している。こうした彼の科学に対する肯定的な主張が、夏の扉の根底には流れている。
さて我々は、彼の示した科学と人間のより良い関係、に近づいているのだろうか?くしくも彼が夏の扉で描いた近未来である現在、そこに生きる映像作家によって描かれた同様のテーマは、バニラスカイに見て取れることは既に述べたとおりである。ここに描かれる主人公を取り巻く現代は、物質主義、快楽主義に満ちており、事故後ひどい怪我を顔や体に負った彼を形成外科的進歩が外見上、そして機能的にも救うのである。しかし、心はいつも見にくい自分におびえたままである。彼の潜在意識には、理想化された親子像である「アラバマ物語」が存在し、一回あっただけの女性、ペネロペを理想化する。まるで、幼児期の心理のようだ。
科学が進歩しても、それを扱う人間はそれなりに進化しているのだろうか。むしろ精神構造は退行している様にさえ感じる。高速F1カーを、幼稚園児が運転する絵を想像すると、未来はハインラインのように楽観覗できない。
戦争の手法や技術は進歩し、アメリカ軍はかつてない民営化された戦争をテクノロジーの進歩で成し遂げた。しかし、彼らにしてみれば時代遅れともいえる武器で立ち向かってくるイラク民兵に、随分と苦しんでいるようだ。ちなみに、アメリカ人であるハインラインは戦争のない未来を想像していたように思う。このまま現代人が精神的に退廃を進めるならば、冷凍保存や冷凍睡眠が実現化して、会社の冷凍庫で眠っている間に、実は地獄に落ちているようなことになるかもしれない。やはり今、これからを、生き抜いて行く事が、より良い未来への近道なのかもしれない。
*夏の扉:原題"The Door into Summer" は、アメリカのSF作家ロバート・A・ハインラインが1956年に発表した、タイムトラベルを扱ったSF小説。自分自身との遭遇、未来からのタイムトラベルによる過去の変更、タイムトラベルを使って「将来の出来事」を変えることが倫理的かどうか、などを扱った。また、「猫SF(or 猫小説)」の代表作としても知られる。
(2004)
最近、バニラスカイという映画を衛生放送で見た。トム・クルーズとペネロペ・クルスが競演していることで、ゴシップ的にも有名になったアメリカ映画であるが、オリジナルはスペイン映画だそうだ。標題は、バニラ色の心地よい空、まるで印象派の絵のような風景を意味するらしい。映画の最後で、まさしく、やわらかな夕焼けとして描かれている。しかしその内容は、夢と現実が入り混じり、かなり手の込んだエキセントリックな作りになっている。しかし何の事はない、主題は1950年代のハインラインの名作、「夏の扉」*と酷似している。
科学の進歩で、人は不老不利を目指す。その手段の一つは、冷凍睡眠である。今でいう保険会社のような冷凍睡眠会社が、夢のような未来を保障する。夏の扉では、自ら様々な進歩的な発明を生きがいとする科学者が、恋人と友人に裏切られ、会社と発明をのっとられ、失意の中相猫と冷凍睡眠に入る。目がさめた世界は、ハインラインが執筆した時代の50年後、すなわち我々にとっての今、現代である。そこには、たとえば風邪は存在しない。かれはここで愛する唯一の身内である姪の危機を知り、なんとか過去に戻ろうとする。そこで登場するのはタイムマシンであるが、ここからは本題にそれるので、ぜひこの名著にあたってほしい。
さてバニラスカイに話を戻そう。この映画でも、親から会社を継いだ遊び人ヤッピーの2世が、女性がらみのトラブルで大怪我をし、失意のどん底で冷凍保存に契約する。描かれるのは実は多くが冷凍中の夢の中の出来事、すなわち脳の中で起こっているバーチャルリアリティである。しかし観客はそれを知らぬまま、夢と現実の狭間で主人公の感じる当惑を共有する。最終的にトムクルーズ演じる主人公は、150年後の現実に生きることを選ぶが、はたして150年後がどうなっているか、それは一切現実としては描かれていない。ここはハインラインの足元に及ばない。いずれにせよ、冷凍保存で不老不死の未来に行こう、という趣旨は同じなのだ。
ハインラインの描く未来には、様々なテクノロジーの進歩が具体的に記述されている。既に実現化されている便利な機械、例えば携帯電話やインターネットなどがあるし、彼が描いた以上の進歩も実際は存在する。しかし、一方で彼の描いた未来では、テクノロジーがより良い人間社会に貢献している。こうした彼の科学に対する肯定的な主張が、夏の扉の根底には流れている。
さて我々は、彼の示した科学と人間のより良い関係、に近づいているのだろうか?くしくも彼が夏の扉で描いた近未来である現在、そこに生きる映像作家によって描かれた同様のテーマは、バニラスカイに見て取れることは既に述べたとおりである。ここに描かれる主人公を取り巻く現代は、物質主義、快楽主義に満ちており、事故後ひどい怪我を顔や体に負った彼を形成外科的進歩が外見上、そして機能的にも救うのである。しかし、心はいつも見にくい自分におびえたままである。彼の潜在意識には、理想化された親子像である「アラバマ物語」が存在し、一回あっただけの女性、ペネロペを理想化する。まるで、幼児期の心理のようだ。
科学が進歩しても、それを扱う人間はそれなりに進化しているのだろうか。むしろ精神構造は退行している様にさえ感じる。高速F1カーを、幼稚園児が運転する絵を想像すると、未来はハインラインのように楽観覗できない。
戦争の手法や技術は進歩し、アメリカ軍はかつてない民営化された戦争をテクノロジーの進歩で成し遂げた。しかし、彼らにしてみれば時代遅れともいえる武器で立ち向かってくるイラク民兵に、随分と苦しんでいるようだ。ちなみに、アメリカ人であるハインラインは戦争のない未来を想像していたように思う。このまま現代人が精神的に退廃を進めるならば、冷凍保存や冷凍睡眠が実現化して、会社の冷凍庫で眠っている間に、実は地獄に落ちているようなことになるかもしれない。やはり今、これからを、生き抜いて行く事が、より良い未来への近道なのかもしれない。
*夏の扉:原題"The Door into Summer" は、アメリカのSF作家ロバート・A・ハインラインが1956年に発表した、タイムトラベルを扱ったSF小説。自分自身との遭遇、未来からのタイムトラベルによる過去の変更、タイムトラベルを使って「将来の出来事」を変えることが倫理的かどうか、などを扱った。また、「猫SF(or 猫小説)」の代表作としても知られる。
(2004)
2011年1月12日水曜日
過去コラムより、ふたたび―世相について
世相について (2004)
最近の日本は、世相が悪い。経済は低迷し、奇妙な犯罪も多く、人々のモラルも崩れている。いわば、世知辛い世の中になったわけである。
そもそも相とは、顔つきや姿、発する言葉の調子に、内面がにじみ出たあり様を意味する。目に見えるもの、ときに見えない内面も含め、いわゆる行動全般を指すのである。精神科医は、患者の相を拝見し、病気や問題を探る。今のところ、血液検査や画像検査では明らかな所見が見つからないだけに、相を見ることは大変重要な手段である。口では「大丈夫、何ともない」という場合でも、患者の相を診ることで、隠れている問題を予測し、それに基づいて援助を行う。
科学的にいうと、相とは人間個人の生体のしくみや働きが反映されたものである。大きな欠陥や異常がある場合、大変な様子は相にあらわれる。例えば意識障害などの昏睡や、苦痛、苦悶などである。生体を構成する臓器や細胞、脳のネットワークが機能不全に陥ると、かすかなものから明らかなものまで相に変化が出る。たとえば、顔色が悪くなる、落ち込んだ様子になる、いらいら落ち着かない、妙にはしゃいでいる、などの変化である。ある相が継続していて、その人に特有のサインになっている場合もあれば、ある時点にだけ生じる場合もある。
往々にして、家族の相を見ることも重要である。家族のそれぞれの関係性が、家族の相として特徴づけられる。コミュニケーションが活発な相、それぞれが関わらない相、強い依存で結ばれている相、などなど。相は、個人を反映し、全体を写す鏡である。
さて、日本の世相に話を戻そう。世相は外から見ると、そのあり様がよくわかる。私がシドニーに滞在中、日本や世界の世相を捉えるのに役だったのは、インターネットの情報とSBS*のワールドニュースである。そもそも日本の雑誌やテレビは、日常生活をしている範囲ではなかなか簡単に手に入らない。日本食のお店で少し古い雑誌を見たり、日本のビデオ店で本やビデオを借りることはできるが、そうそう近くにあるわけでないし、たまに利用する程度である。タイムリーな情報をえるためには、ケーブルテレビなどを契約する必要がある。お金もないので、一般のテレビ番組が最もリソースとして卑近である。とはいっても、扱うニュースは、日本と随分違うものである。世界の相は、見聞きする場所によって随分と趣を変える。イラク戦争など大きな事件は同様に扱うが、日本にブッシュ大統領が来日したこと、若者の猟奇的な殺人事件などは、ニュースにならない。一方で、北海道の地震が映像で流されたり、道頓堀に飛び込むタイガースファンが映ったりする。
一般の放送局ではヘッドラインに乗らないものも、SBS*という多国語放送は、ちゃんと伝えてくれる。なんといってもNHKの7時のニュースが1日遅れで見られるのである(朝の5時半であるが)。ワールドニュースは、アフリカや南米、アジア、当然ヨーロッパの出来事を網羅して扱う。世界の各都市の天気さえも最後に流れる。これは世界の世相をつかむのに、とても役にたった。
日本の閉塞感と社会にたまったストレスの高さを良く示してくれたのが、ネットの情報である。毎日のように子供の殺人や、連続殺人がながれ、とおもうと、あざらしの挙動に一喜一憂する姿は、とても異様であった。景気が悪いといいつつ、人の波、光の波、あふれるもの、これはオーストラリ人にとって、まさしく理解に遠い異国の出来事と報道される。シドニーの人口や人の流れが多いといっても、比べ物にならないのである。そうして日本の人々は従順にやり方を堅持し、文句は言いつつも、変わろうとする気配はない。事実自民党は政権を手放さない(執筆時)。
オーストラリアは若い国で、多民族国家でもある。日本のように便利でないところや、組合が強くて変化に対応できてない点もある。なにごとも個人責任だから、行政は痛いとろに手が届くというわけでなし、お店も客にこびたりしない。しかしながら、基本的な人間同士のコミュニケーションというか、意思刺激の伝達はきちんと行われ、納得のいくまで討議される。それに対するフィードバック機構もあり、溜め込んで文句を言わず、その場で主張をする必要がある。これはいわば自動ドアでなく、人が挨拶しながらドアを開け閉めすることに近い。
外から見た日本の相は、言わば適応障害を起こしているのかもしれない。さまざまなシステムが、うまく機能しない。でも、今までのやり方を変えれない。ちょこちょこと問題が起こるが、結局は柔軟な変化ができない。内外の変化は必然であるが、適応できずに、血行にあたる経済は滞り、免疫にあたる危機管理もごてごてで、医療や教育といった高次機能もにっちもさっちも行かない。たまった主張や文句は適切に処理されず、さまざまな身体心理的症状のような、奇怪な世相として世に現れる。
他の社会や国々は、決してパラダイスでもないし、ばら色でもない。しかし、変化に対する対応や、問題に対する対処の柔軟性、システムの風通しの良さ、を持ち合わせているところもあり、今そのように変わりつつあるところは、勢いがいい。個々の構成組織である、個人もまた、血行が良く(金回りが良く)、代謝も良く(金使いも良く)、免疫は機能し、伝達もうまく行く。これにより、なにより大脳の前頭葉が活躍する。
人が人足る所以は、大きな大脳皮質、それも前頭葉前部の発達にあるという。天才科学者中田力氏*は、前頭葉のはたらきを持つ人間を「理性を持ち、感情を押さえ、他人を敬い、やさしさを持ち、決断力に富んだ、責任感のある、思考を持つ哺乳類」と定義している。人の立場に立って考えられること、この働きは相を診ることにつながる。こうした人が支える社会は、世相がよいのである。
*SBS;スペシャル・ブロードキャスティング・サービス(Special Broadcasting Service)、オーストラリアの公共放送局。オーストラリアは移民国家として発展し、国語である英語圏以外の先住民や移民が多い。本局は、英語以外の多言語放送が全体の半数を占めている。財源は政府交付金を主な収入としているが、コマーシャルが認められている。1975年にラジオ放送を開始。テレビは1980年開始、2002年にはデジタル放送で2つのテレビチャンネルを追加した。
中田 力 教授:新潟大学統合脳機能解析センター長、カルフォルニア大学デイビス校神経学教授
研究室ホームページhttp://coe.bri.niigata-u.ac.jp/index.php
最近の日本は、世相が悪い。経済は低迷し、奇妙な犯罪も多く、人々のモラルも崩れている。いわば、世知辛い世の中になったわけである。
そもそも相とは、顔つきや姿、発する言葉の調子に、内面がにじみ出たあり様を意味する。目に見えるもの、ときに見えない内面も含め、いわゆる行動全般を指すのである。精神科医は、患者の相を拝見し、病気や問題を探る。今のところ、血液検査や画像検査では明らかな所見が見つからないだけに、相を見ることは大変重要な手段である。口では「大丈夫、何ともない」という場合でも、患者の相を診ることで、隠れている問題を予測し、それに基づいて援助を行う。
科学的にいうと、相とは人間個人の生体のしくみや働きが反映されたものである。大きな欠陥や異常がある場合、大変な様子は相にあらわれる。例えば意識障害などの昏睡や、苦痛、苦悶などである。生体を構成する臓器や細胞、脳のネットワークが機能不全に陥ると、かすかなものから明らかなものまで相に変化が出る。たとえば、顔色が悪くなる、落ち込んだ様子になる、いらいら落ち着かない、妙にはしゃいでいる、などの変化である。ある相が継続していて、その人に特有のサインになっている場合もあれば、ある時点にだけ生じる場合もある。
往々にして、家族の相を見ることも重要である。家族のそれぞれの関係性が、家族の相として特徴づけられる。コミュニケーションが活発な相、それぞれが関わらない相、強い依存で結ばれている相、などなど。相は、個人を反映し、全体を写す鏡である。
さて、日本の世相に話を戻そう。世相は外から見ると、そのあり様がよくわかる。私がシドニーに滞在中、日本や世界の世相を捉えるのに役だったのは、インターネットの情報とSBS*のワールドニュースである。そもそも日本の雑誌やテレビは、日常生活をしている範囲ではなかなか簡単に手に入らない。日本食のお店で少し古い雑誌を見たり、日本のビデオ店で本やビデオを借りることはできるが、そうそう近くにあるわけでないし、たまに利用する程度である。タイムリーな情報をえるためには、ケーブルテレビなどを契約する必要がある。お金もないので、一般のテレビ番組が最もリソースとして卑近である。とはいっても、扱うニュースは、日本と随分違うものである。世界の相は、見聞きする場所によって随分と趣を変える。イラク戦争など大きな事件は同様に扱うが、日本にブッシュ大統領が来日したこと、若者の猟奇的な殺人事件などは、ニュースにならない。一方で、北海道の地震が映像で流されたり、道頓堀に飛び込むタイガースファンが映ったりする。
一般の放送局ではヘッドラインに乗らないものも、SBS*という多国語放送は、ちゃんと伝えてくれる。なんといってもNHKの7時のニュースが1日遅れで見られるのである(朝の5時半であるが)。ワールドニュースは、アフリカや南米、アジア、当然ヨーロッパの出来事を網羅して扱う。世界の各都市の天気さえも最後に流れる。これは世界の世相をつかむのに、とても役にたった。
日本の閉塞感と社会にたまったストレスの高さを良く示してくれたのが、ネットの情報である。毎日のように子供の殺人や、連続殺人がながれ、とおもうと、あざらしの挙動に一喜一憂する姿は、とても異様であった。景気が悪いといいつつ、人の波、光の波、あふれるもの、これはオーストラリ人にとって、まさしく理解に遠い異国の出来事と報道される。シドニーの人口や人の流れが多いといっても、比べ物にならないのである。そうして日本の人々は従順にやり方を堅持し、文句は言いつつも、変わろうとする気配はない。事実自民党は政権を手放さない(執筆時)。
オーストラリアは若い国で、多民族国家でもある。日本のように便利でないところや、組合が強くて変化に対応できてない点もある。なにごとも個人責任だから、行政は痛いとろに手が届くというわけでなし、お店も客にこびたりしない。しかしながら、基本的な人間同士のコミュニケーションというか、意思刺激の伝達はきちんと行われ、納得のいくまで討議される。それに対するフィードバック機構もあり、溜め込んで文句を言わず、その場で主張をする必要がある。これはいわば自動ドアでなく、人が挨拶しながらドアを開け閉めすることに近い。
外から見た日本の相は、言わば適応障害を起こしているのかもしれない。さまざまなシステムが、うまく機能しない。でも、今までのやり方を変えれない。ちょこちょこと問題が起こるが、結局は柔軟な変化ができない。内外の変化は必然であるが、適応できずに、血行にあたる経済は滞り、免疫にあたる危機管理もごてごてで、医療や教育といった高次機能もにっちもさっちも行かない。たまった主張や文句は適切に処理されず、さまざまな身体心理的症状のような、奇怪な世相として世に現れる。
他の社会や国々は、決してパラダイスでもないし、ばら色でもない。しかし、変化に対する対応や、問題に対する対処の柔軟性、システムの風通しの良さ、を持ち合わせているところもあり、今そのように変わりつつあるところは、勢いがいい。個々の構成組織である、個人もまた、血行が良く(金回りが良く)、代謝も良く(金使いも良く)、免疫は機能し、伝達もうまく行く。これにより、なにより大脳の前頭葉が活躍する。
人が人足る所以は、大きな大脳皮質、それも前頭葉前部の発達にあるという。天才科学者中田力氏*は、前頭葉のはたらきを持つ人間を「理性を持ち、感情を押さえ、他人を敬い、やさしさを持ち、決断力に富んだ、責任感のある、思考を持つ哺乳類」と定義している。人の立場に立って考えられること、この働きは相を診ることにつながる。こうした人が支える社会は、世相がよいのである。
*SBS;スペシャル・ブロードキャスティング・サービス(Special Broadcasting Service)、オーストラリアの公共放送局。オーストラリアは移民国家として発展し、国語である英語圏以外の先住民や移民が多い。本局は、英語以外の多言語放送が全体の半数を占めている。財源は政府交付金を主な収入としているが、コマーシャルが認められている。1975年にラジオ放送を開始。テレビは1980年開始、2002年にはデジタル放送で2つのテレビチャンネルを追加した。
中田 力 教授:新潟大学統合脳機能解析センター長、カルフォルニア大学デイビス校神経学教授
研究室ホームページhttp://coe.bri.niigata-u.ac.jp/index.php
2011年1月2日日曜日
Happy New Year 2011
恭賀新年
今年は、アウトプットとインプットのバランスを見直し、
海外や異なる世界への目線をとりもどそうと思っています
生活もよりシンプルを目指したい、そう思っています
ちんみに、干支というのは、
人生の区切りを見つめる、良い機会ですね
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