2020年4月3日金曜日

COVID-19の心理社会的影響ー「分断の伝播」ともいうべきウイルスの戦略

先日のBSフジのプライムニュース(3月下旬)で、イタリアに関係の深いゲストの方々が、大変興味深い考察をされていた。もともと家族や友人と会話や身体表現を最大限生かして密接なつながりを大切にしているお国柄、そうした生活スタイルや価値観がかえって感染にはマイナスに働いた、COVIDー19がこうした人々の培ってきた伝統や文化の礎を根底から揺るがしかねない、と言う指摘である。
これに示唆を受け、この2−3ヶ月の状況を通じて、拙いながらもいくつか気づいたことがある。まだ文献的考察や他の言説をきちんとあたっていないので、もしかしたら同様の意見を既に述べていらっしゃる方がおられるかもしれない。あくまで予備的私見として今日の段階では留めつつ、ささやかななコメントをしてみたい。


要点は、人心の分断が様々なフェイスで顕在化する、それがCOVID19の心理社会的インパクトの怖さではないか。

生物学的な致死率や感染力については、既にオフィシャルな情報がある通り、エボラほど致命的ではないものの、約2割が重症化すると言うが、軽症者も8割にのぼるらしい。感染力も新型インフルエンザほどではないが、スーパースプレッダーと呼ばれる現象も起きうる。急激に重症化し人工心肺を必要とする人がいる一方で、罹患しても無症状の割合が多いとの情報さえある。いずれにせよ、すごく危険なのか?、多くの人は大丈夫か?、どちらにも捉えうる特性を有している。当然、専門家たちも、その両面を伝えることになり、伝え方や文脈によっては、いずれか一方に偏って捉えられやすい。パニック回避か、注意喚起優先か。
結果として、自粛か?過剰反応か?と言った議論が起きたし、2−3月の実社会では、経済活動と感染予防という二律背反的な矛盾が生れた。4月2日の現状では、世界の状況にも鑑み、感染防止に全体が舵を切られていると言って良いが、ここに至るまでに様々な分断や衝突があったことも事実であろう。
次いで明らかになったのは、世代間の分断である。COVID19は高齢者にリスクが高いという事実から、若者の行動に批判や注意喚起が集中した時期がある。他方、感染者が激増し、医療が逼迫している欧州では、集中治療を行いうる事例を年齢により選別せねばならないという、痛ましい報道がされた。
さらに、地域間の分断である。欧米の豊かな国で感染が拡大し、イタリアでは比較的経済的に優位にある北部に爆発的な増加をした。現在もこれが進行しており、経済活動の高い大都市圏で発生が多く、このエリアでの医療キャパシティーを超えた状況が危惧されている。自国が大変な状況で、EU加盟国間でのサポートもなかなか進まなかった様だが、今日段階でドイツがイタリアやフランスの重傷者を受け入れていると報道されている。NYを封鎖するかしないかというバトルや、郊外に逃げる車をナンバーで取り締まるという報道さえもあった。これがもし、発展途上国や貧困地域などの保健医療体制の整っていないエリアに蔓延したら、、WHOはどのように支援できるのか?恐るべきウイルスの戦略である。
日本でも、都心から感染が少ない地域へ逃げる行動を避けて欲しいという自治体町の報道から、絆や団結の名の下でこれを声高に反論した芸能人がおられた。逆に擁護する方もいて、感染症の特性を考えれば無症状だからといって安易に地方に観光や疎開して良いのかという意見も出された。移動制限がより先鋭化した差別につながる恐れと、情緒優先的判断による拡散の懸念、これも分断の一側面であろう。
いずれにせよ、COVID19はこうした生物心理社会的特性により、じわじわと感染が広がっていないエリアの人々の人心を蝕んでいる。特に日本では、感染爆発の一歩手前という状況が長期に渡って継続しており、我々の一喜一憂は日々続いている。
さらに心配なのが、ポストパンデミックトラウマともいうべき、精神的健康へのインパクトである。もちろん最前線で対応にあたる医療関係者や行政職員はじめ、経済的ダメージによるうつ病や適応障害の発症リスくの上昇、元々基礎疾患がおありの方々への二次的影響、感染症に関連する不安恐怖症の遷延、などが懸念される。
COVID19は、情報との向き合い方も含めて、21世期の我々の生活の仕方と切り離すことのできない、極めて厳しい人類への挑戦であるように思う。今できることは、感染を予防し、適切な日々の行動を心がけること。いま、対応にあたっている方々の健康も、心からお祈りする。