2009年12月28日月曜日

2009年、忘れられない言葉、そして忘れてはいけない言葉


佐々木正美先生のインタビューから(有壬だより、44号)

「留学先のバンクーバーから帰る時、クライン先生から言われた言葉、『あなたはいろんなことを学んだ。だけど、自分であれこれやろうとしちゃいけないよ。空港に降りたら、患者さんや家族が望んでいることを、一生懸命考えなさい』、お別れのとき、穏やかにおっしゃった。それを、ずっと忘れられないでいます。子供と親の希望、時にそれが異なる時、それぞれが失望にならないように考えること。これは、すべての医療につながると思います」

「今の日本人は、どんどん自己愛的になっている。豊かになり、助け合う力を失ってきた。自由な社会だから、共感的な人間関係なしでも、生きていける。しかし人間は、人間関係の中で、自分の存在の意味を知る。良い人間関係は、相手から与えられるものと、相手に与えるものとがある。片方だけが幸せであることは、あり得ないのです」



義母の法事にて、真宗坊主のことばから

「仏(ほとけ)とは、死んだ人、目を閉じた人。仏陀とは、目覚めた人、悟りに達した人、目を開いた人。

では、仏教は何のためにあるのか?
たとえば今日、亡くなった方をしのび悲しむだけではなく、仏の縁でそこに集い、現世の自分を考え、生活を見つめる機会をいただいた。ましてや、なくなった方をかわいそうなどと思うことはない。なぜなら、仏はすべて浄土におられ、生きている我々こそが、艱難辛苦や未熟さの中で、もがいているのだから」

「じゃけんなり あさましなり 鬼なり
これがさいちがこころなり
あさまし あさまし あさましや」(浅原才市)

「今は亡き法然上人が、『浄土の教えを仰ぐ人は、我が身の愚かさに気付いて往生するのである』、と仰せになっていたことを、確かにお聞きしました」(親鸞聖人御消息)



フィギュアスケート日本選手権、中野選手の一言

フリーで最終組・最初の演技、昨日のSPに続き素晴らしい高得点に、インタビュアーが、
「つらい時期を乗り越えて、オリンピックに近づきましたね」、と問う。

中野選手、
「自分なりに納得のいく滑りでした」と充実した表情で述べ、 そして、

「この後に滑る5人の選手が、みんな頑張ってくれるよう、願っています」

素晴らしいアスリートの、「言葉」。

しかし、結果は0.17ポイント差で、鈴木選手がオリンピックに出場する。
彼女は、摂食障害と向き合った経験を、カミングアウトしている。
鈴木選手もまた、素晴らしいアスリートである。




田坂広志氏のインタビューより(世界のエコイストたち)
http://moura.jp/ecologue/ecoist/index13_1.html

『我々が、自と他を分け、人間と自然を分け、「自然にもっと優しく」と言っているうちは、まだ二項対立的な発想、操作主義的な発想が忍び込んでいるのです。もし人類が、本当に地球環境問題を克服する時代が来るとしたら、我々の意識がまさに、自と他が一体になった「自然(じねん)」の状態に入ったときなのです。


いま、世界中で、「共生」という言葉が大切な言葉として語られていますが、実は、「共生」という言葉は、密やかに自と他の二項対立が前提になっている言葉なのですね。しかし、自と他を区別しない意識は、本来、「自然(じねん)」と呼ぶべき状態です。そして、こうした思想もまた、地球環境問題の時代に、日本という国が世界に対して為すべき知の貢献であると思うのです。

自も他もない。そこにただ世界があり、己も含めて一つの世界。それがなぜか不思議なことに、自らの生命的な力により、生成し、変化し、発展し、進化していくというのが、自然(じねん)の姿です。』



家族会での講演後に届いた、一通のお便りから

「自殺願望が強かった娘が、今は母としての役割と責任から、育児を楽しんでおります。そんな娘から久々に、『治るってどういうこと?』という言葉が。まだ苦しいことがあると、知りました。回復するには時間がかかりますが、子供も親も成長する中で、何かが変わっていくように思います。先生が静かに語られる中に、多くの励ましがありました」

私こそ、多くの励ましを、いただいた。


それぞれに感謝をこめて、ご紹介した。

2009年12月20日日曜日

COP15

コペンハーゲンで「協定」への「留意」が合意された。
これから世界がサバイバルしていけるかどうか、見通しは厳しいものとなった。
「逆転満塁ホームラン(小沢環境相)」、というべきネゴ・プロセスや、それに向けた尽力には、最大限の賛辞を惜しむまい。
一方で、世界のエゴ、を現実のものとして痛感し、直面する事態でもある。
田坂氏の言説に拠れば、
「現実は、『事実』と『感情』で構成される」
しばしば出会う「現実の壁」は、双方のもつ感情が障壁となる、という「現実」。
世界は今一度、この「事実」を深く見つめるべきであろうと、COP15に想う。

2009年12月16日水曜日

コンサルテーション・ステーションへの進化にむけて -1

個別の学生や職員への、心理的援助や精神的サポートは、それ自体が重要な活動ではある。
ただし、かかわりがある少数の専門家や職員だけに限られるならば、変化の肯定的波及は、狭小化されてしまう。
そもそも多大な対象を相手として、広大な敷地の雑草を摘むような無力感も抱く。
そこで必要な視点は、コンサルテーション。
組織の個々人が、カウンセラーとして、相談者として、共感者としての働きと力をもつなら、その肯定的影響は計り知れない。
コンサルテーションの情報提供、個別支援、リエゾンサービスを通して、個々のコンサルタントをスキルアップし、ひいては、組織全体のメンタルヘルスの向上を目指す。

まさに、複雑適応系の営み。

そこで提示したい、3つのポイント

1.問題事例への見方が変わること-帰属やメカニズムの解釈が変容

2.説得力のある根拠の提示-とらえ方を変えるに足るエビデンスや情報

3.想像力と共感力-かかわりに前提とされる「わざ」であり『哲学』

複雑系のゆらぎに拠れば、個々への有効なコンサルテーションは、組織全体へ波及するだろう。
事例の成長とともに、コンサルタントもエンパーワーされ、さらには大学全体が、その効率性や、創造性、生産性を高めるであろう。

次の機会に、それぞれのファクターについて、語ろう。

2009年12月7日月曜日

ギャッべを買う


イランの砂漠に暮らす遊牧民族カシュガイ族の女性達が、羊毛で織る草木染の絨毯を、ギャッベと呼ぶ。自然で染めた手紡ぎのウールで、暮らしの中にある風景を、アドリブで織り込んでいく。素朴な自然の色、デザインがなにより良い雰囲気。「ギャッベ」とは、「粗い」という意味があり、ペルシャ絨毯と比べると粗く、毛足も長く厚い。遊牧民のテント生活の暑さや寒さ、固い土の床から、人々を守ってきた。羊毛100%なので、夏には暑そうだが、羊毛自体が呼吸しており、キューティクルが開いたり閉じたりして、毛の中の水分を一定に保とうとする。夏にはひんやりとした肌触り、冬には保温のためふんわりと暖か。特にアマレと呼ばれるタイプは、織りの密度が高く、毛足が短めにカットしてある。薄く、しなやかで軽いため扱い易く、織りの密度が高いので繊細な模様を表現する。光沢があるので高級感があり、肌触りも滑らか。当然制作には通常のギャッベよりも時間も手間もかかり、毛糸や染料の量も増えるので高価。お店の人いわく、一生モノ、1日でも長く触れていたいのなら、今すぐ手に入れたい。使えば使いこむほど、色合いも、味も出るという。その割に、使い勝手がよい。ついつい1枚買ってしまった。(写真はHPから拾った見本)

2009年12月2日水曜日

切池班での、深い洞察に共感

諸先輩の心に響く討議、1つ1つが深いものだった。
切池班でなければ、このような体験はできなかったろう。

たとえば、渡邊先生の
「摂食障害を見つめることは、次世代の精神保健の重大テーマ。子育てに大きな障壁を抱える母たち、じつは思春期にダイエットや予備軍が存在する。虐待や、養育放棄、子供のうつ、産じょく期うつ、そもそも未成年のダイエットは法律で禁ずべきである!」
大変に、重い指摘。

そのほか、切池先生の人間味あふれた回復論など、
さまざまな著名な先生方が、忌憚なき言葉を語られた。

こうした場を共有することが、摂食障害の臨床・研究に携わっているものにとって、大きな魅力であり、報酬になるのではないか。
若手中堅の精神科・心身科医師、身体科救急科の先生、医療機関、開業医、それぞれにとって、摂食障害臨床の肯定的体験や、うまくいった連携体験が、今こそ必要なのではないか。
「たちさり」や「アレルギー」さらに「ボールの回しあい」を変える、手立てになるのではないか。
性善説かもしれませんが、医療関係者の多くは、なんとかしてあげたいという気持ちを多く持つ方々、身体科の先生方も、難しいケースに果敢に取り組む精神をお持ちだろう。
金や名誉以上に、ケースのナラティブに気づくことで、医師・研究者として成長できることは、摂食障害のみならず、難しい障害や病にかかわるが故の醍醐味。
これを伝え共有することが、さまざまなシステム作り、行政への陳情などと同レベルで、共感されていってほしい、そう感じた。