2010年8月25日水曜日

ワークショップのお誘い

県内の大学等でメンタルヘルス支援に尽力されている方々、
連携にむけての第一歩を目指して、
22年度メンタルヘルス研究会を開催します

以下のリンクで、ご案内します

http://ghsc.aramaki.gunma-u.ac.jp/outside/m_h_annai.php

関心のある方々に、おすすめいただければ幸いです

2010年8月11日水曜日

こころとからだ

ふと日常で出会った、ちょっと残念なやり取り

こころとからだの相克を、如実に表す出来事

そのエピソードから、医学の道を考える



検査で異常がでない、もしくは訴えほどに所見が乏しい、

すなわち、「こころの病」、

そう速断されたい気持ちはわかるが、、、



大人はともかくも、こどもでは特に、こころのサインが体で表れやすい

かといって、それをただちにこころのせいと、

今、我々のもちうる検査で、いいきれるだろうか?

微妙なミクロレベルの組織変化や機能異常、

それをこころのせい、いや、からだのせいと決めることに、

意味があるのだろうか?

そんなことが神業のように、わかるだろうか?



あえて、こころの要因が大きいとしよう

としても、子供たちがその意味を理解し、それを解決する心持に至るには、なかなか険しいステップが待っている

たとえば、複雑で慢性的な体の病で、何度も入院をし、

きつい治療を受けてきた子供たち、

彼女や彼らが、いろいろな体の異変に対し、時に敏感になったり、

不安や恐怖を感じたり、予想以上の苦悩を表わすことは、容易に想像できる



大人ではどうか?

同じ腰痛であっても、レントゲン写真に異常がないからといって、

検査には出ない微細な筋肉や神経の異変を、ただちに否定されては、

途方に暮れるだろう


21世紀初頭の検査が万能で、体の変化すべてを示しうるとは、思えない

もちろん、過度の憂慮に対し、きちんとした説明や見立てが語られてよい

その際、これまでの経過や、その時々の状況、その人の性格、

プロと呼ばれる臨床家は、そうしたことに、配慮されるのだろう



簡潔に心身2言論で片づけられない生命という存在、

その複雑さに想像をはせ、語る言葉がこのケースにどう受け取られるか、

それを慮った上で伝えられる言説こそ、

真のプロフェッショナルの技



たとえば、家族の複雑な背景や歴史があったとしよう

同じ所見でも、違った様相で伝わる

もしかしたら、家族自体が支えられるために、病が維持される場合もある

ただちに、心の問題ですよ!と説明することの、効と罪

共感したうえで、あえて洞察を待つ姿勢、

それがプロフェッショナルの覚悟



もし、医者が平均より若干でも高い給料をもらい(実際は?だが)、

社会である程度尊敬される職業ならば(これもなかなかに厳しいか?)、

教科書的博識やデータをたくさんもち、

それを忠実に則って、その通り間違いなく伝えることそのものに、

あまり専門性はない


そうした基本的知識を十分に備え、要所で伝え、時に伝えずに、見守る

ひとりひとりの人生を見つめたうえで、出す処方や手技、

そして言葉、

それを極める専門性こにこそ、医師として目指すべき道があるのではないか?



さみしいエピソードから、厳しい道を、学んだ

2010年8月4日水曜日

悲しいニュース

「大阪で幼い姉弟2人が閉じ込められ、遺体で見つかった虐待事件で、空っぽの小型冷蔵庫の扉に、子供たちが手で触ったような跡が残っていたことが、関係者への取材で分かった。おさない姉弟が食べ物を必死に探したり、冷房が効かないため逃れるように涼しさを求めたのではないか、とみている。」
(今日のニュースより)


言葉が出ない、痛ましく、涙が出てくる。

2010年8月2日月曜日

空港の想い出

空の港、そこでは人々の出立と別れ、帰郷、旅路、さまざまな物語が紡がれる。
夏休み、海外旅行にでかける子供たちのニュースが流れる。
そんな時期が、また訪れた。

まだみぬ異国の地を想い、期待と不安に胸を躍らせる。
時に、重いものを背負い、長いフライトに臨む。
しばらくぶりに戻った祖国の雰囲気やにおい、
空港のロビーは、これまで住み慣れた場所からモードが変わる、最初のゲートである。

船旅の時代は、港が今生の別れの場にもなったかもしれない。

いくつもの情景や感触が、よみがえる場所、それがポート。

昔よく訪れたアジアの空港では、人々のエネルギー、猥雑ともいえるパワーが、いまでも強くよみがえる、プーケット、ランカウイ、バリ、きんぽ、バンコクなど、それぞれに音と香りが違う。

傷心のダイビングに一人南へ向かった時、パラオへのトランジットで深夜数時間過ごした、ひと気のない島の空港、あの静けさ。

学会でヨーロッパを回った時、最終地であるノルェウーのオスロ空港の、こぎれいなカウンターで、あちこちの通貨を変えるのにずいぶん手間取った。でも、フィヨルドで有名なベルゲンは、こじんまりとして、かわいい街だった。

オーストラリアの空港には、それぞれ忘れがたい思い出がある。
シドニードメスティックの朝飯(おおかた寿司ロールですませた)、メルボルンの空港バス(朝便なのでいつもきつい)、パースではフリーマントルの方が懐かしい。
レディエリオットやカンガルー島、ランセストンなど、小さい空港も乗り換え時間が長かった分、記憶に残っているのだろうか、かえって味があった。
ブンダバーグの町の売店で、ちょっと差別的な高齢女性がキャッシャーにいたが、翌日ブリスベン行の小型機でたまたま隣座になった。お年寄りに手を貸してあげていたら、驚いた顔をしていたことを思い出す。

正月に弟と台湾屋台めぐりに訪れた、広々した高雄空港。でも本当に広かっただろうか?少なくとも六合夜市がやたら大きかった!ので、記憶が入り混じっているかもしれない。

ネパールのポカラという山の町に、プロペラ機で降り立った時、飛行場?に牛がいた!
道で雨宿りしていた時、日本語で話かけてきたネパールの男の子、いまはなにをしているだろう。

ボラカイ島に行った時も、やはりプロペラ機はなにげない草地に降り立った!
同乗した旅行者の小さい幼児たち、サバイバルにたけた大人になっているだろう。

とりとめもなく、あちこちの空港を思いだす。

今、ネット上では、バーチャルな港がある。
検索ソフトのゲートページなど、空港の様なものだ。
多くの人が買い物をし、情報を集め、目指す場所に飛んでいく。
グーグルアースで一瞬に世界を駆け巡り、行ったことのない場所に舞い降りる。
名前も知らなかった世界の小さな村の、だれかのつぶやきがすぐに飛び込んでくる。

時間や距離は、相対的にずいぶんと変化した。

21世紀、そろそろハブ宇宙港ができるかもしれない。

ただし、そこに生きる人間が、何を思い、何を感じ、何をつかむか。
港がスピード化し、宇宙まで広がっても、実のところ、使う人は、そう変わるまい。
ゆっくりとした時の流れや、空間の観察から得られる感覚、これも捨てたものではない。