2011年2月16日水曜日

世界自閉症啓発デー県関連行事 映画「ぼくはうみをみたくなりました」

映画「ぼくはうみをみたくなりました」上映会&障害特性の説明・映画解説のおしらせ

日時:平成23年3月23日(水)   午後6時30分~午後8時45分(受付 午後6時~)
場所:群馬会館 ホール   前橋市大手町2-1-1(TEL 027-226-4850)
主催:群馬県障害政策課   群馬県自閉症協会定員:300名(先着順)   ※どなたでも参加できます。(参加費無料)

内容趣旨:国連が定めた「世界自閉症啓発デー」(4月2日)に関連し、自閉症などの発達障害の正しい理解の促進と啓発を図るため、主人公と自閉症青年との交流を描いた映画「ぼくはうみがみたくなりました」(2009「ぼくはうみがみたくなりました」製作実行委員会)の上映会を開催します。なお、上映後、自閉症特性の説明や映画解説を行い、障害への理解を深めます。

申込:下記のいずれかで、住所(又は所属名)、氏名、電話番号、FAX番号、全体参加人数をお知らせください。
(1)県庁障害政策課(映画担当)あて電話(TEL 027-226-2638) 
(2)県庁障害政策課(映画担当)あてFAX送信(FAX 027-224-4776) 
(3)ぐんま電子申請等受付システムで電子申請(県ホームページから)

参考:
(1)映画「ぼくはうみがみたくなりました」について  自閉症の青年と、自閉症に対する正しい知識のない看護学生の主人公が、偶然、海へ向かう旅に出てしまい、そこで様々な人々とめぐり合うハートウォーミングな人間ドラマです。「自閉症」という、あまり知られていない障害に焦点を当て、一人の自閉症の青年を取り巻く人々の人生や心の成長を、時にユーモラスに、時に厳しく、そして温かく描き出した作品です。なお、本作品の企画・原作・脚本は、自閉症の子を持った父親です。映画公式サイト http://bokuumi.com/

(2)「世界自閉症啓発デー」について「世界自閉症啓発デー」は、平成19年12月18日の国連総会において、毎年4月2日を「世界自閉症啓発デー」(World Autism Awareness Day)とすることが決議されたもので、この日を記念し、自閉症に対する一人ひとりの理解が深まり、自閉症の人々にとっても暮らしやすい社会となることをめざし、世界各地において自閉症に関する啓発の取り組みが行われます。    本県では、これに先立ち、自閉症の正しい理解の普及・啓発を目的に、本映画の上映会を開催するものです。

お問い合わせ:県健康福祉部障害政策課

2011年2月9日水曜日

過去コラムより、再び-英国の試みに学ぶ

こどものこころの医療が必要(2008年時点での記述で、その後診療報酬上の手当てがなされたことを付記する)

 ユニセフによれば、この20年間に戦争や災害で死亡もしくは何らかの身体的障害をこうむった子供は数百万人に及び、正規従軍兵士の被害を裕に越えているという。これはあくまで身体的事態に限った数字であり、精神的障害や心理的後遺症は考慮されていない。こうした子供たちが体も心も健全に発達してほしいと願う一方で、彼らの未来に社会や大人が与える影響や可能性にも考えが至る。事実、わが国では虐待事例が増加し、その質的変貌が指摘されている。猟奇的かつ凶悪な少年犯罪が日々報道され、子供をめぐる異常な事態に危機感が高まっている。傷ついた子供たちの支援のみならず、彼らを見守りはぐくむ大人社会への適切なかかわりも求められている。
 しかし、こどものこころの発達を支援する医学的活動にかかわる専門家の現状は、惨憺たるものがある。わが国の児童精神科医の数だけを見ても、学会認定専門医は全国で113名前後であり(2005年)、児童精神科専門病棟は全国で20ヶ所未満にとどまっている(2007年)。小児(児童)精神科専門の外来を開設する機運は強まっているが、これは社会のニーズや当事者側の要請が後押ししているのであって、専門家そのものが少なく、後進育成や養成機関がほとんどない状況に、どこも相違はないだろう。
 たとえば、群馬県も例外でない。児童相談所における児童虐待の通報件数は、昨年度半ばですでに一昨年度の200%近いという(2007年)。法律制定に伴う県発達支援センターが開設されたが、専門相談員が大幅に増えたわけでなく、医師に至っては嘱託で賄われている。この領域が高い専門性を必要とされるのは、臨床の適応となる問題の複雑さ、一般精神医学と異なる特殊な病態への理解に加え、子供・親を含めた家族および学校教育関係者に同時並行的にかかわる必要性など、時間的・労力的な負担によるところも大きい。県内医療関係者で、発達障害や児童期の精神心理的障害・問題(不登校なども含め)に対応しているのは、数少ない有志の精神科・小児科医などであり、医療保険制度上なんらメリットのないこの領域を好んで専門とする学徒が増える可能性は少ない。大学で児童精神医学にかかわる専門医育成システムを構築してほしいとうニーズは内外から高く、大学であるが故に担うべき研究的課題も枚挙に暇がない。畢竟、小児の心身保健向上に大きく寄与する活動の一つであり、我々にとって火急の責務といえる。
 先日、英国で行われている格差社会対策がNHKで紹介された。その一環として、街に徘徊したむろする青少年に対し、非機能的な家族状況(親)から離れて就業支援を行う活動がクローズアップされた。ここに登場する、いるいわゆる不良やニートたちは、それぞれ家族に様々な問題を抱えている。たとえば、経済不況による親の無就業、家族の薬物やアルコール問題、ネグレクトやDV、反社会集団との接近など。街中で専門職員が積極的に彼らに声をかけ、公的な就労技術教育へと熱意をこめて導く。感情が麻痺しうつろな目をした青少年が、半年後には表情や言動が劇的に生き生きと変化し、「本当はこんなに無邪気な子供たちだったのか」、という事実に、見るものは気づかされるだろう。親や家族ができないこと、親族や地域が担えないこと、(日本ではこうしたかかわりを教育現場に要望する無理な期待もあるが)、そこに適切な財源を投じ、若いうちに芽を育てる(悪い影響を摘む)。彼らが人間的な支援をうけないまま青年期を向かえれば、様々な心理的・社会的行動上の問題を呈することは、当たり前の必然ともいえよう。後向きに対応する社会的コスト(教育、福祉、医療、時に司法)を考えると、早い段階での援助は費用に比した効果が高いだろう。それは、もしかしたら非行や犯罪、自傷や他害、薬物や虐待の連鎖、といった悪循環の早期介入につながるのではないか。 
 ここに見る社会支援・防衛の在り方は、「家族の崩壊」「コミュニティーの再生」を前提としている。残念ながら育む力をもたない「家族」には、そこに所属せざるをえない子供たちが自他に悪影響を及ぶ前に、社会が子供達に力と技能を与える。はやければはやいほど、コストパフォーマンスはよかろう。社会が被る様々な不利益を、より早期に彼らを支えることで、むしろ彼らが社会に貢献できるよう導く。 もちろん、青年期にいたって起こるさまざまな心理的行動上の問題(衝動行為、家庭内暴力、過量服薬、など)が、すべて家族や養育のせい、と言いたいわけではない。しかし、思春期以降問題となる人格障害類似の振り回し行動のため、医療・司法・教育現場のリソースが浪費・疲弊する悪循環は、いずれにせよ大変難しい課題である。
 その取り組みの一つとして、発達の個別性に着目し、養育保育への適切な早期関与、親・家族への啓蒙とサポート、教育現場での支援体制の向上、などに資源を投じ、専門家が機能的に連携してかかわれるようシステムと人材を再構築できないだろうか。こうした連鎖に、少しでも歯止めがかけられないだろうか。個人的には、このような文脈においても、児童精神医学心理学(特に乳幼児精神医学)を推進する社会的意義があると思っている。これは、境界例や発達障害の支援の在り方に、一脈通じるところもあるだろう。
 こどものこころの医療にかかるコストは、未来の人格障害を減らし、虐待の連鎖を防ぎ、残念な事故や事件を減らすことに寄与するのかもしれない。
(2008)

2011年2月2日水曜日

NIRSがNature Newsで取り上げられました

Neuroscience: Thought experiment

Japanese hospitals are using near-infrared imaging to help diagnose psychiatric disorders. But critics are not sure the technique is ready for the clinic.

Published online 12 January 2011 Nature 469, 148-149 (2011) doi:10.1038/469148a

こちらの公式サイトで、ダウンロードできます
http://www.nature.com/news/2011/110112/full/469148a.html