2011年1月19日水曜日

過去コラムよりふたたび-冷凍催眠にみる未来像(2004)

冷凍睡眠にみる未来像‐バニラスカイと夏の扉

最近、バニラスカイという映画を衛生放送で見た。トム・クルーズとペネロペ・クルスが競演していることで、ゴシップ的にも有名になったアメリカ映画であるが、オリジナルはスペイン映画だそうだ。標題は、バニラ色の心地よい空、まるで印象派の絵のような風景を意味するらしい。映画の最後で、まさしく、やわらかな夕焼けとして描かれている。しかしその内容は、夢と現実が入り混じり、かなり手の込んだエキセントリックな作りになっている。しかし何の事はない、主題は1950年代のハインラインの名作、「夏の扉」*と酷似している。
科学の進歩で、人は不老不利を目指す。その手段の一つは、冷凍睡眠である。今でいう保険会社のような冷凍睡眠会社が、夢のような未来を保障する。夏の扉では、自ら様々な進歩的な発明を生きがいとする科学者が、恋人と友人に裏切られ、会社と発明をのっとられ、失意の中相猫と冷凍睡眠に入る。目がさめた世界は、ハインラインが執筆した時代の50年後、すなわち我々にとっての今、現代である。そこには、たとえば風邪は存在しない。かれはここで愛する唯一の身内である姪の危機を知り、なんとか過去に戻ろうとする。そこで登場するのはタイムマシンであるが、ここからは本題にそれるので、ぜひこの名著にあたってほしい。
さてバニラスカイに話を戻そう。この映画でも、親から会社を継いだ遊び人ヤッピーの2世が、女性がらみのトラブルで大怪我をし、失意のどん底で冷凍保存に契約する。描かれるのは実は多くが冷凍中の夢の中の出来事、すなわち脳の中で起こっているバーチャルリアリティである。しかし観客はそれを知らぬまま、夢と現実の狭間で主人公の感じる当惑を共有する。最終的にトムクルーズ演じる主人公は、150年後の現実に生きることを選ぶが、はたして150年後がどうなっているか、それは一切現実としては描かれていない。ここはハインラインの足元に及ばない。いずれにせよ、冷凍保存で不老不死の未来に行こう、という趣旨は同じなのだ。
ハインラインの描く未来には、様々なテクノロジーの進歩が具体的に記述されている。既に実現化されている便利な機械、例えば携帯電話やインターネットなどがあるし、彼が描いた以上の進歩も実際は存在する。しかし、一方で彼の描いた未来では、テクノロジーがより良い人間社会に貢献している。こうした彼の科学に対する肯定的な主張が、夏の扉の根底には流れている。
さて我々は、彼の示した科学と人間のより良い関係、に近づいているのだろうか?くしくも彼が夏の扉で描いた近未来である現在、そこに生きる映像作家によって描かれた同様のテーマは、バニラスカイに見て取れることは既に述べたとおりである。ここに描かれる主人公を取り巻く現代は、物質主義、快楽主義に満ちており、事故後ひどい怪我を顔や体に負った彼を形成外科的進歩が外見上、そして機能的にも救うのである。しかし、心はいつも見にくい自分におびえたままである。彼の潜在意識には、理想化された親子像である「アラバマ物語」が存在し、一回あっただけの女性、ペネロペを理想化する。まるで、幼児期の心理のようだ。
科学が進歩しても、それを扱う人間はそれなりに進化しているのだろうか。むしろ精神構造は退行している様にさえ感じる。高速F1カーを、幼稚園児が運転する絵を想像すると、未来はハインラインのように楽観覗できない。
戦争の手法や技術は進歩し、アメリカ軍はかつてない民営化された戦争をテクノロジーの進歩で成し遂げた。しかし、彼らにしてみれば時代遅れともいえる武器で立ち向かってくるイラク民兵に、随分と苦しんでいるようだ。ちなみに、アメリカ人であるハインラインは戦争のない未来を想像していたように思う。このまま現代人が精神的に退廃を進めるならば、冷凍保存や冷凍睡眠が実現化して、会社の冷凍庫で眠っている間に、実は地獄に落ちているようなことになるかもしれない。やはり今、これからを、生き抜いて行く事が、より良い未来への近道なのかもしれない。

*夏の扉:原題"The Door into Summer" は、アメリカのSF作家ロバート・A・ハインラインが1956年に発表した、タイムトラベルを扱ったSF小説。自分自身との遭遇、未来からのタイムトラベルによる過去の変更、タイムトラベルを使って「将来の出来事」を変えることが倫理的かどうか、などを扱った。また、「猫SF(or 猫小説)」の代表作としても知られる。

(2004)

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