2015年12月1日火曜日

心理教育家族教室ネットワーク第19回研究集会東京大会・分科会のご案内― Family-Based Treatmentの導入実践に向けて

3月20-21日 東京都大田区にて開催されます(東邦大学精神科が担当)
ぜひ、多くの方にご参加いただけますと幸いです
この分科会は21日AMになります
 
対象者)児童青年期、特に10代の神経性やせ症タイプ事例の支援経験のある、もしくはこれから関わろうとする方々。
留意点)慢性遷延例や嗜癖・衝動性の著しいケース、養育者などによる現実的支援の望めない事例(虐待など)には、適応が難しいことを付記。
コーディネーター
上原 徹     高崎健康福祉大学大学院保健福祉学専攻
小笠原 知子  金沢大学保健管理センター
プレゼンター
澤 智恵     東京英語いのちの電話(TELL) TELLカウンセリング
話題提供
須田 真史   上ノ原病院
 モーズレイ家族アプローチは、ロンドンのモーズレイ(モーズレイ病院、べスレム王立病院、ロンドン大学精神医学研究所)で開発された、神経性やせ症に対してエビデンスのある数少ない治療法である1,2)。 その後米国などで実践と検証が重ねられ、現在はFamily-Based Treatment(FBT)として広く知られている3,4)
 FBTの基本は、家族が摂食障害を十分理解することで、家族の能力と資源を最大限に生かし、治療チームでそれを支えていくこと、にある。養育者(親)が食行動の修正や教育、支援の中心的役割を担う。その根底には、外在化をパワフルに援用し、病因論に拘泥せず、解決を構築していく支援姿勢が要請される。
 家族心理教育とFBTとの深い共通性を実感した上原は、ささやかながら心理教育の応用型として紹介してきた5,6)。本分科会では、本格的にFBTの導入を始め、精力的に活動を続けておられる7,8)TELLカウンセリングの協力と、中心的メンバーである小笠原氏ならびに澤氏の参画を得て、待望の企画を顕てることができた。その内容は、
1.家族心理教育とFBTとの共通哲学
2.FBTの理論と効果、フォーマットの説明
3.FBTの純粋形をスーパービジョンを含め日本で行っている実例と効果
4.モーズレイの様子や家族向けDVDの紹介
5.課題や展望についてのディスカッション(応用や試行、疑問含め)
 なお、若干気楽な閑話休題的な内容として、ロンドン精神医学研究所に留学経験のある須田氏に登場いただき、あちらでの実際やトレジャー教授らが作成したロールプレイDVDについて紹介していただく。
 最後の5では、参加の皆様から、以下のような話題を積極的に提供いただけることを期待する。
①FBTのエッセンスを、どのように、どこに、活用できそうか?
②FBTと皆さんの実践している心理教育との共通項はあるか?
③FBTを応用する時に困りそうなこと、不安なこと?
代表的な参考文献のみ)
  1. Russell GF, Szmukler GI, Dare C, Eisler I.An evaluation of family therapy in anorexia nervosa and bulimia nervosa.Arch Gen Psychiatry. 1987 Dec;44(12):1047-56
  2. Eisler I, Dare C, Russell GF, Szmukler G, le Grange D, Dodge E.Family and individual therapy in anorexia nervosa. A 5-year follow-up.Arch Gen Psychiatry. 1997 Nov;54(11):1025-30.
  3. Eisler I, Dare C, Hodes M, Russell G, Dodge E, Le Grange D.Family therapy for adolescent anorexia nervosa: the results of a controlled comparison of two family interventions.J Child Psychol Psychiatry. 2000 Sep;41(6):727-36
  4. Eisler I, Simic M, Russell GF, Dare C.A randomised controlled treatment trial of two forms of family therapy in adolescent anorexia nervosa: a five-year follow-up.J Child Psychol Psychiatry. 2007 Jun;48(6):552-60
  5. 上原徹:摂食障害の心理教育-モーズレーアプローチの場合 最新精神医学、11:547-554,2006
  6. 上原徹:14章 家族への対応.「摂食障害治療ガイドライン」(日本摂食障害学会監修、ガイドライン作成委員会編集)、p221-228.医学書院、東京、2012
  7. 青島あすか、小笠原知子:家族療法およびFBT(Family-Based Treatment Approach)による児童青少年の摂食障害治療の有効性:日本での臨床と成果について.第18回日本摂食障害学会学術集会抄録集、p194、2014
  8. 小笠原知子、中村伸一、大森美湖、澤智恵:家族をリソースとした青少年の摂食障害治療アプローチは有効か―日本の摂食障害治療における家族療法およびFBTの有効性と将来性を多角的に検証する.第31回日本家族研究家族療法学会自主シンポジウム、家族療法研究、31:86、2015

2015年11月2日月曜日

スピリチュアリティに関する秀逸なレビュー

新谷 宏伸 氏 による精神科治療学の総説
 
「スピリチュアリティ(霊性)が精神科治療にもたらすもの」


ワンネス(すべては一つである)、思考は現実化する、今ここに在る


決して反科学的な論文ではない、むしろすぐれて理論的かつ実践的な論考である

WHOの健康の定義に霊性が含まれていることに依るまでもなく、

世界の優れたリーダーたちの共通するメッセージにあたるまでもなく、

我々が当たり前に信じている真実の多面性やはかなさ、

ローカルな知識の集積であるエビデンスの限界に気づいてさえいれば、

理解し共鳴するのに、難くない

でもシンプルなことは、行うに難し、でもある

生まれることも滅することもない、

今ここで、不安を選ぶか、愛を選ぶか

それは自由であり、

唯識、

すでに手に入った状態を意味する「感謝」が、引き寄せられ、現実化するために


ちなみに、氏とはかつて、短い間だが仕事の一時期を共にした

そのご縁で、最近彼の論文を読ませていただいている

とても興味深い言説なので、紹介させていただいた

2015年8月31日月曜日

閑話休題


すっかりす涼しくなり、秋の気配だ

この夏、こころに響く映画や音楽に出会ったので、いくつか徒然に


 

宮古島のアーチスト
 
下地 暁  氏

 
知人家族との合同旅行で訪れたかの地で、リゾートの無料コンサートに足が留まる

素晴らしい歌声と、さんしん、ギターが、南の夜空に吸い込まれる

娘さんと、あと一人キーボードだけのトリオ、

島独特の言葉で歌われる楽曲に、すっかりひかれる

翌日、お土産屋でオリジナルCDMyahkを買う

内外でかなり著名な方、音楽歴も長い

宮古島にもどり、オリジナルな活動を続けておられる、

islanderartist

であることを知った

http://www.shimojisatoru.jp/

 
ちなみにホテルのスタッフさんにうかがったが、普段もとてもよい方だそうだ

聞きこんでも、歌詞の意味はとりにくいのは、外国の音楽のようだが、

決定的に違うのは、主観的であるが、心に「何か」が深く響いてくること
 

ちなみに、Miyakojima Kids Net. http://miyakojima-kids.net/Miyakojima_Hogen-2.html

によれば、宮古の方言には、以下のような特性があるという


『ユネスコ(UNESCO) の調査によると、現在世界に6,000から7,000の言語があり、100年後にはおそらく90%の言語が消滅するであろうといわれている。ユネスコでは、これら消滅する可能性のある言語を、消滅危機言語としてレッドデータブックを作成している。

Moseley, Christopher (ed.). 2010. Atlas of the World’s Languages in Danger, 3rd edn. Paris, UNESCO Publishing

  宮古島の方言は、レッドデータブックでどのあたりに位置するか、研究者によって違うが、いずれにせよ消滅危機の度合いは毎年変化し、このまま何も対策をしなければ、間違いなく消滅危機のレベルは上がり、遠い将来には消滅へと向かっていく』という
  

さらに

『小さな島でありながら集落一つ隔てるだけで違う言葉、異なる表現が使われるという、言語学者にとっては魅力的な土地』

とのことである

 
楽曲は、愛しゃ(カナしゃ)、や、ウヤケンナウレ、など、美しくも力強い

このCDの歌詞ノートに、宮古民謡についてくわしく書かれているが、『方言を知らないと読めない、そんな言霊がある』と、記されている

つたわってくるもの、それは、言霊、なのかもしれない

これから、さっそく注文した下地氏の新譜と、旧譜が届くだろう

 
夏の宮古の記憶は、まだ終わらない

 

 
思春期とは?

旅立ちの時 Running on empty 1988年 アメリカ映画

 
リバーフェニックスの見事な陰りと抑圧の演技、テーマは映画全体にながれる

この両親は、青年期の課題を引きづたまま、仮面の自己愛を維持しようともがいてきた

彼らも、やっと、幻想「家族」共同体から、実社会に適応する旅立ちの時になる

思春期の自分との出会い、そして自己実現を契機する「他者」としての異性や音楽

安定した裕福な家族といえど、そこには既存の価値観への反抗といったテーマが立ちはだかる

活動家の母親と、反目していたその父との再会、既存とは、自らがそのあとを歩む道

理想と現実の狭間で、主人公は、他者を想い、自己を思う

リバーフェニックス自身は、早逝してしまったが、彼の表現はしっかりといきづいている

 

ディアハンター 1978年 マイケルチミノ監督

わたしのfavorite
10代の時から、すでに10回は見ている
50すぎになって、この映画はやはり深く残る

 
前半のロシア移民おおき鉄鋼の町の描写

夜勤明けのばか騒ぎのかなしさ

ロシア正教の結婚式

ベトナムの実体験は、まだ彼らには遠い

そして、シカ狩りの壮大な自然

one shot

と言ってマイケル(デニーロ)はしかを撃つ

 

行きなり、場面は壮絶な戦場の捕虜としての描写

たましいに突き刺さるロシアンルーレット体験

これは、3人の心身をむしばむ

ニック(クリストファーウォーケン)の変容演技は、筆舌に尽くしがたい

彼の快活さややさしさが前半際立っていただけに、、

 
一人帰国したマイケルが、そっとリンダ(ストリープ)を見守る態度に変わりない

ただし、ある隔絶を持って、彼らは必然と支えあうしかない

ふたたび狩りに行くが、仕留めるはずのしかから銃を外す

OK?とこだまする

 
終戦間際のサイゴンに戻り、ニックとのろかけ勝負で、かわす彼らの演技は、

唯一無二だ

山の木々が好きだったろう、といって、ニックを現実に引き戻そうとするマイケル

このあとはかたるまい
 

ラストシーンで、皆がUSAをたたえるうたを歌う

移民国家が故の、愛国心とアイデンティ

多くの犠牲といくつかの過ちの上に、国家も、人生も、成立しているのだろうか?

 
ちなみに、このテーマ曲をきくと、いつもひきこまれてしまう

2015年7月7日火曜日

前橋の街

久しぶりに、出張の帰り、両毛線で前橋駅におりた

ちょうどいいバスがみあたらず、すこしぶらっとしようか

梅雨時で、小雨模様だ

よくうかがったことのある、小料理屋さんに向かった

あめをよけて、すこしこころがはずむ

小路に入ったが、灯りがなかった

懐かしいつたのからまる外観、

引き戸に、独特の筆跡で、しばらく休みと、かいてあった

雨が少し強まる

とまどいつつ、とおりを曲がり、街を抜ける

あちこち、しまっている店が多い、今日だけか?

土曜の夕刻6時半、夜の街は、これからだろうか?

数少ない目当てのお店、いずれも灯がきえている

アーケード街も、たくさんシャッターが下りている

それにしても、人通りが、少ない

雨だからだろうか?

さみしさと、わびしい雨の中、たつまちのバス停まで、はしる

丁度バスが来た、しばらくすると、豪雨にかわった




2015年5月8日金曜日

開講100周年記念誌への寄稿 「教室への想い、ふたたび-自尊と責務」(2014)

母校の“教室”を離れ、すでに16年目。隣県とはいえ、精神医療の在り様や、講座・教室の雰囲気など、かなり違う風土の中で、自分なりに走り抜けてまいりました。昨年春、医学部での仕事に区切りをつけ、辺縁からささやかに、精神医療とかかわる機会を得ました。そんな折、新潟大学医学部精神医学教室創立100周年の吉報に触れ、深い感慨とともに、短い間でしたが“教室”で薫陶をいただいた想いが、蘇ってまいりました。あらためて、“教室”の諸先輩、後輩の皆様、教室に関われた方々、お祝いに駆けつけてくださった来賓各位、とくに見事なパーティーを企画遂行された染矢教授、北村准教授はじめ、教室員のみなさんに、心よりお礼とお祝いを申し上げます。

もとより、私のような若輩が、そうそうたる諸先生方とならんで寄稿することに、大変恐縮しています。しかし、久しぶりに顔を出した一昨年の忘年会で、不義理を重ねておりました先生方からも、わだかまりなくお声掛けいただきました。その時、母校の教室に対して、芯より温かい気持ちが湧いたことを思い出し、お引き受けいたしました。医局在籍中、自らの未熟さゆえ、時に歯がゆき経験もあったからこその、感謝であります。ちなみに、内藤先生に力を込めて握手していただけたことを思い出すと、いまでも感激します。

さて写真の説明ですが、1は家族療法研究グループが活動はじめたころの、懐かしき一枚です。後藤先生筆頭に、横山先生、中野先生、豊岡先生と、長崎大主催のEE研修に参加しました。宿舎の海を背景に、いい気分で映っております。屋台骨の川嶋先生、田崎先生がご一緒でないのは、残念です。2は、精神病理学会が新潟で開催された時の、まったりした一コマです。佐藤(哲)先生と坂戸(薫)先生がたばこをくゆらせ、田中(敏)先生が微笑み、亀田先生と小生が傍にひかえております。後ろに、県民会館付近の改築工事が映ってます。

祝賀会当日、2次会で同年入局の4名、懐かしい昔話に興じる企画を、提案しました。残念ながら、野村(旧姓関)先生は出張で欠席されましたが、場をセッティングいただいた本間(旧姓村山)先生と田辺(旧姓神田)先生に参加いただき、昭和最後の時代の医局について、かたりあいました。お二人とも、あの頃と少しも変わりありません。当時の恥ずかしきエピソードや、オーベン陣の話題(和知先生、富樫先生、長谷川先生、佐藤(哲)先生など)、仕事の現状、子育てから大学生活のことまで、それぞれの歩みが、過ぎ去った25年を実感させます。これからの私たち、そして精神医療はどうなっていくのか?いずれにせよ、健康でまた会おう!と約束し、新潟古町の懐かしき夜を、後にいたしました。

最近、群馬大学時代の後輩と、精神医療や診断・病理学のありかたについて、しばしば対話をかさねる機会があります。小生の気軽な立場故に、彼らも相談しやすいのでしょうか。そして必ず、この話題に行きつくのです。それは、大学“教室”での、体験の重要さ。様々な議論や討論はもちろん、自然と醸し出される臨床の立ち位置、思考のプロセスに大きく影響する“臨床哲学”など、教室文化の重要性と、その新たなる復古です。研修教育研究システムや業績の特異性はもちろんのこと、積み重なり紡ぎだされた、ヒトが織りなす有形無形の関係性が、それを生み出しはぐくんでいくことに、皆同意してくれます。
教室100年という伝統は、「私が、新潟学派に値するか」と、問いかけます。自身の奥底で、一期一会の臨床に向き合う私を、支えてくれます。それは、ある種の「自尊」や「自負」であると同時に、これから私が見つめるべき、「責務」なのかもしれません。

末筆になりましたが、染矢教室のますますの発展と、皆様のご活躍をお祈りいたします。

写真1:伊王島での家族感情表出評価法研修会にて(長崎市、1992年)

写真2:第19回日本精神病理学会の会場にて(新潟市、1996年)

2015年4月10日金曜日

中学生に「こころの健康」を育むための副読本をもっと届けたい!

中学生向けの無償の保健体育副読本 『悩みは、がまんするしかないのかな?』 を、冊子の形で中学生に届けるためのクラウドファンディングについて、先輩から教えていただきました。
ここで、ご紹介させていただきます。

「READYFOR?」のサービスを活用した、以下のサイトです。

https://readyfor.jp/projects/mental_book

サイトを見て、取組みを知っていただければとおもいます。
また、趣旨にご賛同いただけましたら、ご協力、ご紹介いただけますと幸いです。
なおファンディングについては、目標金額に到達できない場合、チャレンジはキャンセルとなるそうです。

2015年4月7日火曜日

新年度閑談 たなからひとつかみ

年度かわり、桜吹雪の下を愛犬と散歩する

大学院生も担当することとなり、メール・ラーニングなるものを考案する

なかなか忙しい方々のご指導、研究のイロハトホヘトを、コンパクトにメッセージとしてお伝えする試みだ

評判次第で、ブログにも掲載してみたい


さて、趣味関連の閑談に移ろう


たまたまBSで邦画、「野生の証明」、すごいインパクトだった
(監督:佐藤純彌 製作: 角川春樹 1978年公開 東映・ヘラルド)

もちろんリアルタイムの年代、話題だけは記憶にあるが、きちんと見たことはなかった、、

超常予見力のある中学生役は薬師丸ひろ子、すさまじい殺戮トラウマ、陸上自衛隊の極秘部隊、高倉健がランボー張りのアクション、名優競演、、

見ごたえのあるサバイバルシーンや壮大な戦闘シーンだけでなく、三國廉太郎のone and onlyの演技や、中野良子の抑えた演技、海辺の薬師丸女史をMTV化し早すぎたAORともいうべき【戦士の休息】、、

若き夏八木氏の刑事役、舘ひろしは若僧役、自衛隊上層部の面々には丹波氏はじめ名優ぞろぞろ、高倉健がコマーシャリズムとここまでマッチした時代だったのか、、

最後のシーン、べたではあるが、戦国武将にもつながる、日本の美、、、自滅の遺伝子は、われにもあり、と意識されるのである

*****

次は音楽、昔のCDからなにかを聞こうと、まさしく棚から一掴み

おそらくほとんどご存じない「小田育弘」氏の1992年のデビュー作、talk to you (アルファレコード)

当時定期購読していたadlibの推奨、それでリアルタイム購入したのです

そのあとも、機会あるごとに何度も聞いていましたが、ほんとに久しぶり

ほとんど歌詞メロも覚えています
アマゾンです)
1曲目から洋楽!、ボズかスティーリーダンか?

曲ごとにメジャーとマイナーに変わる、メローでソフト(バブリー修飾!?)

表題は、マイケルフランクス調、ほかにもtouchやsaving up your loveなど、AOR本道を往くさわやかなメロディー

後段は、安全地帯を思わせる憂いの曲もあり

とにかく楽曲とアレンジが高品質、独特の抑えたややハスキーな声色です

この時代、バブルの余韻が残る懐かしさ、今でも色褪せぬのは、クオリティーの証明

この方の2作目も持ってます

久々に、明日車で聞きましょうか

あまり当時ブレイクしなかったのか、メジャーはこの2作ですが、、

徳永氏とか、カバーしたら、よいアルバムになりそうです


たなからひとつかみ、またお会いしましょう




2015年2月20日金曜日

閑話 映画のお話し

バベットの晩餐会  1987  (デンマーク) 監督: ガブリエル・アクセル
アカデミー外国語映画受賞作。

海に近い田舎で、信仰に深くねざした生活をする二人の姉妹、若き頃のそれぞれの邂逅。
一つは人生に悩む若き軍人、一つは歌の魅力と未来を勧める著名な音楽家。
いずれもが、静かに通り過ぎた出来事。
地元の人々とともに、信心と奉仕で年を重ね、今は老年を迎えている。
戦時下、フランスからある女性がにげのびてくる、かつて歌を教えてくれた音楽家の紹介だ。
家族を失い、行く場所もない、「バベット」、老姉妹のもとで、侍女として働く。
十数年がすぎ、信者たちも老い、それぞれが自分勝手で、いさかいが絶えなくなる。
それを憂う姉妹、亡くなった父の教えを思い返すべく、誕生日にささやかな会を計画する。
おりしも、バベットが母国との唯一のつながりと思い、買い続けていた宝くじが当たる、。
きっと彼女は、フランスに戻るだろう、とさみしいながら送り出す気持ちでいる。
ところが、彼女は晩餐会を申し出る。
ここからがこの映画の愁眉、本格的なフレンチの数々。
素晴らしい食材とともに、見事にバベットが作り上げていく。
かつて彼女は、有名レストランの有名シェフだったのだ。
信心にあつい人々は、食の誘惑に打ち勝つべく、その話題を避けようとかわいい努力をする。
でも、おいしい食事は、人々の心を和らげ、関係を緩和し、温かい環が取り戻される。
バベットは、宝くじのお金をすべてつぎ込み、このまま二人とともに居たいという。
彼女にとって、料理は過去の栄光ではない、今、この人々に、喜んでもらえること、芸術であり、自己実現。
これは、かつて音楽家が妹の歌声を聴いて言ったこと、真の芸術は永遠、あなたのうたも。
実は、若き日の軍人が、重要な役割を果たす。
大佐となり、かつて思いを寄せた姉とともに、晩餐を囲む。
これまでの人生は無駄ではない、永遠を生きることを可能にする、物理的な距離さえも超えて、
宗教、芸術、人生、、、それを繋ぐ食。
いまどきの映画にはない、かわいらしさと、静かで深いメッセージ。


ブルージャスミン 2013 アメリカ 
ウッディアレン監督脚本、ケイトブランシエットがアカデミー最優秀女優賞受賞

彼の監督作の中で、個人的には好きな一本。
暗い重いという前評判だったが、独特の軽妙さが悪くない。主人公が実は計算高くないところが良い。夫は信じとおすし、豪華な生活を妙に悪びれない。文句言いながら歯医者にもつとめる。演技も秀逸であり、嫌味にならないし、コメディを強調しない。自然に、情けなくみじめ、ちょっとかわいそうで、でも身から出たさび、最後に本人も独白する。
繰り返すが、本当に見事な演技だ
また、ゴージャスな世界はそれなりに見事。会話も、別荘も、食事も、洋服も、車も、。
コントラストとなる、里子の妹も魅力的だ。たしかに男運は悪そうだが、憎めない。
この姉妹、結構根がいい、悪い人じゃないと思う。
助演女優賞にノミネートもさたが、あの独特のしゃべる間がいい
かかわる男性も、みなそれぞれ一長一短、現実的だ。
見ているものが、ある部分はあてはまりそうなところが、それぞれの人物に相応してある。
アレックボールドウィンはTo Rome with loveについで、かなりはまり役
おまけで、別荘でベイを眺めるところ、素晴らしいきれいな場所だ
一度だけSFにいったことがあり、映画の中で見るとなんだかうれしいものだ


そのほか最近のあたり
熱波(ポルトガル映画)
ロンドンリバー(英国)
そして父になる(日本)

やはり映画で、いろいろ考え、学びます