2015年5月8日金曜日

開講100周年記念誌への寄稿 「教室への想い、ふたたび-自尊と責務」(2014)

母校の“教室”を離れ、すでに16年目。隣県とはいえ、精神医療の在り様や、講座・教室の雰囲気など、かなり違う風土の中で、自分なりに走り抜けてまいりました。昨年春、医学部での仕事に区切りをつけ、辺縁からささやかに、精神医療とかかわる機会を得ました。そんな折、新潟大学医学部精神医学教室創立100周年の吉報に触れ、深い感慨とともに、短い間でしたが“教室”で薫陶をいただいた想いが、蘇ってまいりました。あらためて、“教室”の諸先輩、後輩の皆様、教室に関われた方々、お祝いに駆けつけてくださった来賓各位、とくに見事なパーティーを企画遂行された染矢教授、北村准教授はじめ、教室員のみなさんに、心よりお礼とお祝いを申し上げます。

もとより、私のような若輩が、そうそうたる諸先生方とならんで寄稿することに、大変恐縮しています。しかし、久しぶりに顔を出した一昨年の忘年会で、不義理を重ねておりました先生方からも、わだかまりなくお声掛けいただきました。その時、母校の教室に対して、芯より温かい気持ちが湧いたことを思い出し、お引き受けいたしました。医局在籍中、自らの未熟さゆえ、時に歯がゆき経験もあったからこその、感謝であります。ちなみに、内藤先生に力を込めて握手していただけたことを思い出すと、いまでも感激します。

さて写真の説明ですが、1は家族療法研究グループが活動はじめたころの、懐かしき一枚です。後藤先生筆頭に、横山先生、中野先生、豊岡先生と、長崎大主催のEE研修に参加しました。宿舎の海を背景に、いい気分で映っております。屋台骨の川嶋先生、田崎先生がご一緒でないのは、残念です。2は、精神病理学会が新潟で開催された時の、まったりした一コマです。佐藤(哲)先生と坂戸(薫)先生がたばこをくゆらせ、田中(敏)先生が微笑み、亀田先生と小生が傍にひかえております。後ろに、県民会館付近の改築工事が映ってます。

祝賀会当日、2次会で同年入局の4名、懐かしい昔話に興じる企画を、提案しました。残念ながら、野村(旧姓関)先生は出張で欠席されましたが、場をセッティングいただいた本間(旧姓村山)先生と田辺(旧姓神田)先生に参加いただき、昭和最後の時代の医局について、かたりあいました。お二人とも、あの頃と少しも変わりありません。当時の恥ずかしきエピソードや、オーベン陣の話題(和知先生、富樫先生、長谷川先生、佐藤(哲)先生など)、仕事の現状、子育てから大学生活のことまで、それぞれの歩みが、過ぎ去った25年を実感させます。これからの私たち、そして精神医療はどうなっていくのか?いずれにせよ、健康でまた会おう!と約束し、新潟古町の懐かしき夜を、後にいたしました。

最近、群馬大学時代の後輩と、精神医療や診断・病理学のありかたについて、しばしば対話をかさねる機会があります。小生の気軽な立場故に、彼らも相談しやすいのでしょうか。そして必ず、この話題に行きつくのです。それは、大学“教室”での、体験の重要さ。様々な議論や討論はもちろん、自然と醸し出される臨床の立ち位置、思考のプロセスに大きく影響する“臨床哲学”など、教室文化の重要性と、その新たなる復古です。研修教育研究システムや業績の特異性はもちろんのこと、積み重なり紡ぎだされた、ヒトが織りなす有形無形の関係性が、それを生み出しはぐくんでいくことに、皆同意してくれます。
教室100年という伝統は、「私が、新潟学派に値するか」と、問いかけます。自身の奥底で、一期一会の臨床に向き合う私を、支えてくれます。それは、ある種の「自尊」や「自負」であると同時に、これから私が見つめるべき、「責務」なのかもしれません。

末筆になりましたが、染矢教室のますますの発展と、皆様のご活躍をお祈りいたします。

写真1:伊王島での家族感情表出評価法研修会にて(長崎市、1992年)

写真2:第19回日本精神病理学会の会場にて(新潟市、1996年)

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