2014年12月1日月曜日

映画 Gravity にみる 自己との対話

ゼロ グラヴィティ(監督 アルフォンソ・キュアロン 2013)

アカデミー監督賞を獲得した、SF映画

見事な映像美、CG、無重力の動き

リアルな宇宙の「ごみ」、と、壮絶なドミノ・トラブル

ほとんどは、主人公ライアン博士のサバイバルする姿をフォローする

が、数少ない、他者とのかかわりのシーン

生存の可能性がつき、静かにあきらめ、酸素のバブルを閉じる

宇宙空間に漂い去ったはずの、ベテランコマンダーが、突如現れる

奇想天外な方法で、意識の遠ざかる彼女に、助言する

子どもを失ったトラウマを超え、今を生ききること、

できる限り「旅」を楽しむこと、すべての可能性を排除しないこと、

マインドフルとでもいうべき状態で、ライアンは、その後訪れる危機に対処する

これは、自己との、集合的無意識との、いや、宇宙との会話

宇宙はスピリチュアルであり、スピリットは、ヒトの精神にある

地球をかみしめる姿は、感動的である





2014年10月17日金曜日

精神科医療機関の未来を予見する-Yとの対話 クリニック編

Y 最近、心療内科やメンタルヘルス科のクリニックが増えていると聞きましたが、精神科と違うのでしょうか?

U おっしゃるとおり、ユーザーからするとわかりにくい面がありますね。心療内科は、あくまで内科ですから、内科疾患を基本的に診るところのはずですね。ご自分の専門に加えて、心身医学を学ばれた医師がおられる機関、という位置づけが、本来の姿かもしれません。

Y メンタルヘルス、という言葉をはじめ、横文字にするとなんだかスムースな感じがしますね。

U ほんとうは「精神保健」、という意味ですから、疾病や病気の診断治療、という狭い意味の精神医療よりも幅広く、やや公衆衛生より、すなわち予防や啓発、健康増進、早期発見の意味合いが大きいと思います。精神疾患を主に診療する医療機関であれば、やはり精神科、という当たり前の標ぼうが、わかりやすいと思いますが。

Y いろいろ勝手に科の名前を付けてもいいのですか?

U 厚労省は、平成20年4月1日より、医療機関の標榜診療科名の見直しを行いました。いくつかの決まりがあり、精神科関係では、児童精神科や老年精神科が認められています。心療内科は、あくまで内科のスペシャリティの一つとして、例えば消化器内科や循環器内科と並列するるわけです。実際は、精神疾患が厚労省の定める5大疾患に入ったとはいえ(地域医療の基本方針となる医療計画に盛り込むべき疾病、2013年より)、まだまだ抵抗感やスティグマは現存している、ということの裏返しかもしれませんね。

Y どのくらい増えているのでしょうか?

U これに関しては、データを見ると一目です。精神科・神経科・心療内科の総数は、平成8年は6000台、以降順調に伸び、平成14年9000台、平成17年11000台、しかし20年に上記のように神経科は神経内科(脳梗塞、パーキンソンや片頭痛など、神経の病を診る)と標ぼうが改まり、重複が減少した分総数は9400台にさがるも、この10年でそれぞれ2倍以上増えたことになります(厚労省の調査報告もここで止まっています)。その後この数年で、精神科診療所数が約15%、患者数で30%ほど増加しているといわれます(TKCより)。

Y こんなに増えて、経営は大丈夫なのですか?

U どうも大都市では、新規の開業は難しいと、知人から聞きました

Y 先日、良心的な診療をされている管理者が、経営上の衝突で更迭されたとのうわさがありましたが

U そうですか、そもそも医療と経営、日本の保健医療システム上、大きな葛藤と矛盾があるのでしょう。手厚く熟練の医療が必ずしも報われず、一律に数をこなさないと利潤が上がらない、どこでも(一般病院も専門施設も)だれでも(若手も神の手も)およそ保険点数は同じ、時間をかけるほど赤字になる、、、他人ごとではありません。

Y 素人からすると、精神科はゆっくり話を聞いてくれると思うのですが、違うのでしょうか?

U 残念ですが、時間と値段はそれほど比例しません。保険点数はご存知ですか?2年に1回、中医協で審議され、医療行為の値段が決まりますが、ほぼ全国一律です。信頼できる調査によれば、保険診療上経営が持続するには、1時間に再来の患者さんを5-6名は診察しないと、利潤が生まれないとのことです。もちろん、短くとも実のある内容もあれば、長く診察すればよくなるとも限らないのかもしれませんが、、。

Y では、10分程度で難しい精神療法を行い、さまざまな心理社会要因や生活、養育状況をうかがい、場合によっては家族職場の方々との話し合い、治療の説明し、自己選択をいただく、神業ではないですか?

U 常識的に、だれでも簡単にはできませんよね、当事者の不満が募って当然ですし、医療者側も、同様なのかもしれませんね。

Y これも素人考えですが、様々な疾患では、それほど時間がかからず診察が終わる場合と、かなりシビアな状況とで、かなり時間のかけ方や医療技術の差もあるのではないでしょうか?外科でたとえれば、比較的浅い傷の手当と、複雑な外傷が重なっている場合とでは、手術室でかかる時間やスタッフの数、機材も違って当たり前ですよね。

U その通りだと思います。残念ですが、重い病理の方々にかける時間は採算性がとれず、チーム医療が必須にもかかわらずPSW(精神保健福祉士)や看護師さえいないクリニックも少なくありません。心理士に至っては国家資格が現在審議中ですので、保健医療サービス専門職として待遇できない難しさが残っています。しかし公認心理士法案がとおれば、サイコセラピーやサイコメトリーを医療現場で行うチームスタッフとして、大きな力となって下さるでしょう。

Y 最近のクリニックでは、新しい患者さんの予約が取れない、1-2か月先になる、といったことも聞きます

U そうですか、新患を一切取らないところも、場合によったら?精神障害の多くが慢性疾患の特徴を持つと考えれば、現状の皆保険診療システムですと、再来だけで成り立つ場合もあるかもしれません。

Y 患者さんがあふれ待ち時間が減らない悩みをもつところがある一方で、過当競争や口コミにより集客が思うようでないところもあるのですか?

U そうですね、古典的な精神医療、すなわちかつて内因と言われた統合失調症や躁うつ病を薬物療法主体で生活指導を加えて対応する、といった流れだけでは、多様なニーズにこたえられない場合も増えていますから。

Y どなたか著明なコメンテーターがメディアで、メンタルクリニックは現代の駆け込み寺か?といったようなコラムを書かれていたのを思い出しました。クリニック受難時代、とも語っていたような?

U これもデータによりますが、増えている診断群や状態像は、従来の中核的疾患、たとえば統合失調症やうつ病ではなく、適応障害領域の心理社会的要因の色濃い事例、様々な不安障害と抑うつとの合併が、割合を増しているといわれます。前者は、これまでのスタンダードなスキルでまあまあ対応できますが、後者は医療だけでは何ともしがたいわけですね。医療行為によって、負債を抱えた会社の経済状況をすくったり、うまくいかない夫婦家族関係をまるくおさめたり、勉強しなくて落第した学生を進級させたり、、常識で考えてもむりなわけですから。ソーシャルワークや行政福祉機関との連携、場合によっては家族調整や司法との関連も出てまいります。せいぜい、休養や心身の調整、見方考え方の若干のヒント程度さしあげること、ですか。魔法の杖は、残念ながら、医師や医療機関にございません。

Y こうしたケースは、通常の診療では、赤字非採算につながりやすいのでは?

U およそ公的私的に、インテンシブはつけられませんでしょう。しかし、実際お困りの方がいたら、医師だけではどうにもできませんから、たとえばPSWのお力がぜひとも必要なところです。ほかにも、双極性特徴を持つ気分変動、発達障害の特性による困難、そしてトラウマが潜在している難治遷延例などが、背景として、時に主訴としてクローズアップされています。特にトラウマ臨床の経験からは、多くの困難事例に、複雑なトラウマ体験があることを実感しており、アセスメントと対応力がカギになります。これは学会などの特別講演で、浜松医科大児童精神科教授の杉山先生、対人関係療法の先駆者である水島先生、子供や女性のトラウマケアの権威である白川先生、らも強調しておられますね。

Y そうしますと、クリニックとはいえ、児童青年期の発達理解や、トラウマケアの体験、薬物から心理社会まで、かなりの熟練かつ専門のスキルが必要と聞こえます。

U これまた残念ですが、こうした臨床家が活躍するには、いまの保健医療体制は、わびしすぎますね。民間の医療機関に経営度外視を求めても、なかなか手を上げないでしょうし、志あって勤めたとしても、バーンアウトか孤立、理事会で更迭、せいぜい程々さばき外来への忸怩たる逆戻り、、、。公的機関が担うといっても、トリアージュやマネージメントがなされないシステムでは、小児科や産科外来と似た構造が起きえます。そもそも専門の外来を有する公的診療施設さえ、あまりみあたりませんからね。

Y それでは、これからクリニックに起きる変化と、対応はどうしたらいいのですか?

U これは経営セミナーではありませんので、決して医療経済に特化した話ではありません。しかし、結局のところ、持続可能な良質サービスを提供するには、経営も考慮しなくてはならないのです。ですから、いわゆるコンサルタント会社のセミナーで言われることと、図らずも方向が一致するかもしれません。ちなみに、あちらに参加すると2-3万円かかるそうですが、、。

Y ここでは無料でお聞かせ下さるのですね

U はい。まずいくつか、ポイントを。
私の主張は一貫しており、
1.医師だけでクリニックを回すのは非効率的(医師業務上、医療経済上、顧客サービス上)で、PSWに最大限活躍してもらう
2.再来新患システムをトリアージュ・マネージメント(キャンセルを減らす、事例内容に沿って事前セッティング)
3.他の機能を併設もしくは移管する(各種デイケア、メンタルドック部門、自費心理センターなど)

Y まずはじめに1について、伺えますか?

U そうですね。たとえば、診察10分程度でも、PSWやCP、地域行政サービスとの連携で、ニーズに沿った相談と方向性が提案ができます。いわば、ノットとなる場を提供するわけですね。そもそも医師は医療行為にと仕事に専念でき、医師不足の時代、経営陣にとっては重要です。むずかしいケースはもちろん、一般の事例では社会復帰やリハビリテーションとしても有用で、コストパフォーマンスと顧客満足度が高まります。集客にも役立つでしょうね。

Y 2についてはいかがですか?

U 新患のニーズや状況をインテークすることにつきます。応じて、時間枠にうまく振り分けます。キャンセルに対する事前の取り決めが必要で、保険外併用が認められる予約費も一案です(選定療養)。再来に関しては、直る患者さんはどんどん良くなり、空いた枠にフォローアップのケースが入る、そうしますと、相当黒字になります。なお、病院と併設されている場合など、その補完に徹するとか、慢性再来や、一部専門外来(20歳未満は児童相談所や教育機関と連携すると保険点数が高くなります)、トリアージュされた新患外来などに特化することもありえるでしょう。

Y では、むずかしい、よくわからない、手間のかかる事例はどうでしょう?

U 実は、どこかで誰かが支えているから、他のスタッフが、地域のほかの病院が、同じ法人の部門がうまく回っているようにみえるのではないか?と思うのです。例えば、A先生が、腕と労力をかけて、某所で支えている、ですとか、、
やはり、専門性や熟練性などは、この業界では、間接的に採算につながり、マインドやスタッフのやる気につながっていく、と信じます。

Y では、3について、お願いします

U これは、まさしく冒頭の5大疾患に関係して、メンタルヘルス健診、メンタルドッグ、そして、予防と啓蒙に医療費財源を移管していくことに絡む話です。次の機会に、アイデアをお話ししましょう。



2014年9月2日火曜日

鹿児島にて、偶然同窓に会う

先週末、スポーツ精神医学会に参加、鹿児島を再訪した

大学院生が、初めてながら、頑張って発表してくれた

オーディエンスからのフィードバックも、多々いただけた

特別講演なども、実りある内容であった


さて、薩摩の地、海の、山の、おいしいものが豊富だ

桜島に早朝わたり、20分ほど歩いて、とんぼ返りした

歩道には火山灰が敷かれ、フェリーは生活路線として息づいていた

さて、宿泊先のビジネスホテルの朝ごはんで、朝一かと思いきや、団体がすでににぎやか

その中に、おぼろげながら、大学同級生の顔が、、

おそるおそる声をかけると、何と、このたび出身校の教授に就任した、T先生本人だった

まさか、卒後26年にして、こんなところで会うとは、、、

お互いに、びっくりしつつ、彼のフェローが写真を撮ってくれた

T君は学生時代から、学年の中心として、学友会などの活動をされていた

私は、影の薄いマイナーなタイプなので、覚えてくれていて、少しうれしかった

学友諸君の、ますますの活躍を、祈っている



2014年7月4日金曜日

大学と大学院の未来を予見する ― Xとの対話

X 先日大学院について、廃止も含めた意見が、公式な場で上層部からあったそうですが,,,衝撃的ですね!

U 大学院はビジネス・メリットがない、というご判断でしょう。経営陣としても、この少子化時代、大変ご苦労されておられると、拝察します。

X そもそも高等教育や学問の最高学府を、短絡的なボトムラインの上下で斟酌するというのは、これから日本が知的財産や科学文化立国として生き残るという方針と、矛盾する気もしますが

U もちろん、発展途上的な経済成長時代では、「目で見える数値に基づく資本主義」や「筋力ブレイン」が、最大限力を発揮する時代や時期もあったのでしょう。それを一概に否定したり、馬鹿にすることはできません。これからを見据えた戦略が、重要になりますね。

X 大学院の進学率は、男性13.5%、女性7%と、まだ高くはありませんが

U そうですね、一方では大学進学率は5割超え、おそらく6割に近づくでしょうし、応じて4年生大学の数も日本では相当多いですね(13000校)。

X そういえば、この春の大学就職率は94%で、改善しているようにみえます。4月の内定率も、9割を超えていますが

U 実は、分母は就職希望者に対する比率なのです。ですから、新卒者全体の進路をみると、安定的な雇用についていない割合21%、進学も就職もせずが14%と、どこでもいいから大学を出ただけでは、就職できない現実があります。

X そうですね、大卒の失業率も約0.7で、3年以内の転職率が4割と、決して甘くない社会現実が報道されました。そこで、資格があると有利とか、在学中に付加価値をつけるとか、実践力をあげるとか、巷で言われます。大学では資格の勉強をし、社会実践勉強をするとなれば、学問や研究をするという、大学の本来の目的はあるのですか?

U ゆえに、特に今後の日本において、大学院の意義や意味が大きくなるのではないでしょうか?

X でも、進学する子どもの絶対数は減っているのですね

U ええ、当然大学に入学する数は減るわけですから、大学の差別化と生き残りが問われます。事実、文科省の方針でも明確ですね

X そういえば、優秀(あくまで受験レベルですが、、)な学生の層や比率は、おおよそ一定で、バブル期から今でも、有名国立私立学生が就職するルートや割合は、それほど変化ないとも、専門家が述べていました。

U なるほど、就職難や離職する層は、中間層から下、ということですか。いわゆる偏差値の高い方々が目指す大学も、ほぼ決まっていると(いわゆるブランド)、予備校などは分析していますね。当然、地方の国公私立大は、それぞれ厳しい競走と、消褪の危機にあるのかもしれません。

X 一方で、2018年から定員より受験者が少ないということは、受けた全員が合格できるわけですから、学力や能力が不適合な層も、大学に進む、ということでしょうか。

U そもそも、大学を出たから素晴らしい人間、秀でた人間、とは違うわけです。人間としての有能さや、尊敬される人格と、知能や学力、ましてや学歴とは、一対一ではありませんから。もちろん、優れた知能を生かして、優れた研究をし、世界の役に立つ人、優れた学力を通して、地域の人々の暮らしをよくする人、そうした人生を通して、成長して、成熟していく方々が多いことも、存じています。

X 受験勉強は苦手でも、たとえば技術、建設、美容、調理、工芸、園芸、飼育、商売、運動など、秀でて、優れて、素晴らしい方々は、世界にたくさんいますね

U 元来社会的に生かしうる実務的技能的スキルや、きわめて実践的な技術を習得することに志向性と能力を有する方々が、それぞれ得意とする分野で、個人の人生が輝くことは、学歴云々とは比較にならない尊きことではないでしょうか。もし、適材適所といえない場で、費される場合もあるのは、残念です。

X では、大学が大学たるゆえん、勉強でなく学問をする場に、変革・復古できるのでしょうか?たとえば、オックスフードやケンブリッジとまでは言いませんが、わが国では実際、高校や中学の勉強を復習している大学もあると聞いていますが

U それゆえに大学の役割は、大学院が担っていくと、私は考えます

X では、中小の地方私立大学は、なにを目指したらよいのでしょうか?
就職率を上げる?
資格を取らせる?
実務的学科をメインにする?
地域に根差す?
産学連携する?
ほかにない独自独特な内容や活動?
など、うかんできますが

U そうですね、たとえば、薬学科はあまたの単科大学があり、国試合格率だけでは、売りにならないわけです。どんな独自性を打ち出すか。
看護学部も、バブルは相当続いていますが、流動性の高い職域であることに変わりなく、おまけに教員不足も明らかで、今後大学院卒のニーズが増えるはずですし、卒業生の質が問われることになるでしょう。

X 国家資格のある学科では、いかがでしょうか。資格合格率を上げる、国家試験対策は、どの大学もほとんど行っており、そもそも、専門学校に太刀打ちできない気もします

U そこに、大学院がある大学の、差異が問われます。結論から言えば、
専門性、信頼性、そして、ひきつがれる伝統です。
これは、言い換えると、
信頼資本
評判資本
共感資本
といわれるキャピタルです
これらは、数字や利益では測れませんから、優れたマネージャーしか、見ることも、判断もしえないのですね。

X もうすこし、わかりやすく説明くださいますか?

U わかりました。大学院設置基準を満たすには、相応の教官が必要であり、研究や教育レベルが担保されるわけですね。そこでの活動は、当然数は少なくとも、可能性がやどります。研究教育の業績のみならず、社会活動やメディア活動、出版や講演、場合によっては特許や技術など、教官のリソースはたからの山なのです。そこに大学院生がつく、羽ばたく、連携する、人脈のネットワークですね。このネット時代、そうした口コミや情報は、瞬く間にブランドとなっていきます。

X なるほど、ニュースになる研究者の動向も、ツィッターで発信されたりしますね

U そして、地域活動への還元を通じ、大学院がかつて大学のはたしていた役割の多くを担う、わけです。早稲田と高田馬場、スタンフォードとシリコンバレー、ハーバードやMITとボストン、といった感じですね。キャンパスは、文化を生みだしますから。

X それが、ブランドキャピタルとトラストキャピタル、ですね

U ええ。マウスイヤーの時代、値引きデフレ競争に見て取れる如く、学問や教育の哲学を失念してしまうと、不毛なビジネスモデルが闊歩する場となる危険があります。これはかつて、労働観を見失った日本の企業を襲い、これから医療や介護で起きうる懸念です。

X そうすると、これからの私立大学の生き残には、大学院が必須である、
なぜなら、
魅力、信頼、ブランド、を作り上げる場は、一部の有名大学を除き、今後、大学院にしか生み出しえないから、ということでしょうか

U そうです。「大学」、が、これまでの義務教育延長の場となった今、大学でおこなわれる研究業績、産学連携、地域貢献は、どこの大学もやれることは近似せざるを得ず、平均的なテーマに集約されることは自明です。そうしないと、経営的に、物理運営上も、持続不可能だからです。その理由は、冒頭の数字に示した通りで、数と質の平均化故です。学生のレベルに応じて、丁寧な進路指導をすればするほど、現実的なものにならざるを得ません。
もちろん、2SD以上偏った集団をターゲットに、奇をてらったやり方は別にして、ですが。

X 今後、大学院で可能性のあるアクティビティは、なにがあるでしょうか

U 私は、まず3つのアイデアがあります
1. 学内コンソーシアム
2. 介護福祉系・工学情報系・医療食品薬理系などのベンチャー創世
3. 多領域連携教育実習体験指導者の育成と外部からの受入れ
4. コンサルテーション・ステーション(スーパーバイズ機能やフィールタンク機能)
5. 情報発信(メディア)機能を持つ大学院へ
などを提案します

X コンソーシアムとは、どんなアイデアですか?
例えば、薬学ひとつとっても、基礎的研究にとどまらず、接客、情報提供(服薬指導ですね)、経営、チーム医療でのコミュニケーション、漢方と食品、ハンディのある方への投薬、プラシーボ効果の研究など、様々なテーマが生み出されます。それぞれ、心理社会学、経営情報学、食品栄養学、介護福祉学、行動科学などとの、学際共同教育研究が可能です。これは、地域の大学の売りとして、大変魅力的ですね。大学院をベースに、コンソーシアムを作り上げることが可能で、ひいては、地域貢献も不可能ではありません。

U なるほど。では、産学連携に関するアイデアはいかがでしょう?

以下のキャピタルの生かし方は、次回以降に、一つ一つおとどけしましょう。(続く)

2014年4月14日月曜日

「メンタルヘルス通信」ふたたび、(2010年9月) “スポーツとメンタルヘルス-人生のアスリートとは?”





世界中のさまざまなスポーツ選手たちが、いろいろな競技で、すばらしい活躍をされています。

そんなニュースを見聞きすると、大変わくわくします。

実際にスポーツをする方はもちろん、あまり運動する機会がない場合でも、「今度ちょっと走ってみようかな」などと、思うことがあります。

時に残念な結果に終わった有名選手の姿を、自分の置かれた厳しい状況に重ね、「苦しい時こそ、チャンスだ」と、こころのなかで応援したりします。



スポーツの素晴らしさは、体の健康維持や増進にとどまらないでしょう。

競技の種類やかかわり方も、たいへん幅広く、奥が深い。

我々に、達成感やリラックス、ときにくやしさや予想以上の高揚感、さまざまな感情を、もたらしてくれます。



見て楽しむ、参加する、時に技術を論じ、チームに声援を送って、試行錯誤もする。

スポーツの広がりは、とても豊かです。



近年、スポーツ精神医学という分野が、注目されています。

アメリカでこの領域を切り開いたのは、自らがポリオに罹患し、テニス競技をあきらめたArnold Beisserという医師でした。

この分野に詳しい保坂隆氏(東海大教授)によれば、

1.スポーツの精神医学への応用、すなわちスポーツが精神疾患やメンタルヘルスにどのような効果があるか、

2.精神医学のスポーツへの寄与、すなわちアスリートやスポーツに携わる人々が、誤った取り組みや不適切な指導により精神障害や心理的問題を生じる事態に、予防・治療的に対処する、という双方向の視点が重要だそうです。



さてトップアスリートは、肉体的にも精神的にも強靭である、そんな風に多くの人は信じています。テレビで見るイチロー選手や宮里藍選手に、弱さを微塵も感じません。

それでも、トップ選手へのロングインタビューなどでは、とても人間的で、我々が共感できる発言をされることがあります。

同じ人間ですから、程度の差はあれ、悩み戸惑うのは当然かもしれません。



実際現場で支援をされている、スポーツ精神医学会理事の内田直先生や早稲田大学スポーツ学術院の堀正士先生が、以下のようなトップアスリートの精神的問題を指摘しています。

・練習の厳しさや競技成績の浮沈、

・ファン・メディアとの接し方、

・オーバートレーニングによる燃え尽きやパフォーマンスの低下、

・勝利至上主義により低年齢から身体精神発達がないがしろにされかねない事態、

・チームメイトもライバルで、相談できる仲間が少ない、

・有名選手(チーム)ほど社会的規範を強く要請され、“清く正しく強く”という大きなプレッシャーを抱える、

・若年より家族と離れ、コーチやスタッフと過ごす時間が長いことの弊害、

・時に遠征など、異文化や外国での摩擦体験、

・さらには競技生活が終わりに近づいた時、引退後の人生設計

こうしたテーマをみると、なかなかに大変だな、と想像します。



もし、彼ら彼女たちがなにかしら心の支援が必要な時、相談につながる道はなかなかに遠く、壁は高いといわれます。これもまた、残念です。



彼ら彼女たちが、私たちに与えてくれるスピリッツには、計り知れない力があります。

素晴らしい活躍をした選手が、かならずと言っていいほど語る言葉、

「この結果は、応援してくれた皆さんのおかげです」

自分自身の努力や苦闘の道に裏付けられた謙虚さ。

それとともに、周囲からの有形無形のサポートを力とし、時に人知をこえた、たとえば自然がもたらしてくれた恵み、「運」とよばれる偶然の意味に、気づくことのできる人々なのかもしれません。



体力や技術だけでなく、人々とかかわる力や、心をコントロールするむずかしさを実感した選手こそ、真のトップアスリートと呼ばれのでしょう。



トップアスリートをメンタル面で支えることは、それをフォローする子供たちや中高大学生の選手に、貴重なメッセージが、リアルに届くことを助けるでしょう。

なぜなら、心と体の深みを追い求めるトップアスリートは、その成績や結果以上に、彼らの言葉や姿を通じ、「こころとからだの声に耳を傾け、自分らしさを信じ、共感の力を高める」という、真の先進的、いや、“先心的メンタリティー”を、我々に導いてくれるからです。



そしてそれは、ヒトが人たる所以である「前頭前野」の働きを持ってなされる、「理性、責任感、感情の抑制、優しさと他者への敬意、決断と思考」(中田力氏、新潟大学統合脳機能研究センター長)の能力が、すぐれて高みに向かいつつある人々を指す、『人生のアスリート』と、同義なのかもしれません。



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参考図書)

スポーツ精神医学. 診断と治療社、東京、2009

中田力:心の誕生.フィロソフィアメディカ11回(複雑系科学入門)、日本医事新報、5月29日号、2010

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2014年4月4日金曜日

春の庭にて

所属大学の入学式に、参列した

高崎公園のさくらは、うつろいやすい春の嵐に、舞っていた

在校生たちの太鼓が、新入生だけでなく、われわれの心を揺さぶる

この季節、庭の植物たちも、俄かに姿を変える

はやくもムスカリが、紫の花を、ひそやかに満たす

北植えのゆきやなぎは、いちばんにはるの到来を告げる

木々の根元に、クリスマスローズが、年々立派な花を、謙虚にうつむかせる

そろそろ、球根たちが、あらわれいでそうだ

忘れてはいけない、ミモザ、黄色い花、満開

庭のあちこちから、芽吹く

落葉した木々から、芽吹く

また会えた喜びは、形容しがたい

次は、ホスタが葉を、バラが花を、いちごが実を、、、

いま、庭に夕日が差し込む

さあ、忙しい季節がやってくる

学生たちを、育むこと、

土や肥料や、日差しや気候、

そして、期待してみまもる

さあ、わたしも、日々の営みに、向かおう










2014年4月2日水曜日

平成25年度「学生によるオレンジリボン運動」

若年者に向けた児童虐待予防のための広報・啓発(厚労省HPより)

近い将来親になりうる 10 ~ 20 代の若年者などに向けた虐待予防のための 広報・啓発の取組として、厚生労働省から関係団体に呼びかけ、子ども虐待のない社会の実現を目指す「オレンジリボン運動」の一環として、学生自身が主体となって行う「学生によるオレンジリボン運動」が実施されました。

全国 113 校の大学等で約 4,000 人の学生により、虐待予防のための広報啓発等の活動が約 40,000 人の方々を対象に行われました。

実施した学生のうち、オレンジリボンやオレンジリボン運動を実施前から「知っていた人」のうち約8割が「実施によりさらに理解が深まった」と 回答し、「知らなかった人」のうち約9割が「実施により理解が深まった」と回答しています。

実施の場については、学園祭が最も多く約6割、次いで地方自治体の イベント等が約1割でした。また、「今後、『オレンジリボン運動』を独自に 継続させたいと思いますか」という質問に対して、「今後も継続したい」と 回答した学校等は約8割でした。


2014年3月20日木曜日

年度末、閑話休題 2014

久しぶりに、趣味のお話し

今回は、音楽

最近アナログレコードを、デジタル音源に移し替えている
便利なプレーヤーが、DENONなどから細々と販売されている
30年以上前に買った、大切なLP、結構楽しい
改めて聞いて、再評価したアルバムをいくつか


「George Harrison」 by George Harrison (1979、ワーナーパイオニア)
名前をタイトルにした、温かいアルバム。当時はディスコやパンク、アダルトコンテンポラリー全盛時代で、ジョージの久々のLPにもかかわらず、あまりヒットに至らなかったことを思い出す。ビートルズ解散直後からの、エキセントリックな活動のインパクトが大きかったせいか。後日談として、スコッセッシ監督のドキュメンタリー映画によれば、70年代初頭は、かなりドラッグにはまっていたようだ。刺激的な芸術性とモラルの安定性は、なかなかに相いれないのだろうか。このアルバム制作時は、私生活も落ち着き、長男が誕生、邦題にあるごとく、「慈愛」に満ちたメッセージと穏やかな曲調が、中高年の心をくすぐる。LPの解説、これも慈愛に満ちた湯川れい子氏のコメントが懐かしい。1曲目から、最近よく聞きこんでいるlove comes to everyone、スティーブウインウッドのシンセが、のちの彼の名盤アークオブダイバーを予感させるし、クラプトンのギターも、やはりしっくりする。彼らは、本当に見事なパートナー同志だったことが、音から実感する。ちなみにhere comes a moonとか blow awayなどの名品が並んでいる。ゲーリーライトとの共作もある。


「Fool in Love with You」 by Jim Photoglo
AORリアルタイム世代なので、どのアーチストや曲にも、それなりの思い入れがあるが、この80年代初頭にでたアルバムは、曲や演奏が素晴らしい。彼はベーシストなのだが、ボーカルに味があるし景色がある。芸名か本名かわからぬが、作品がフォトグラフィックなアーチストだ。LPによくありがちな、外した曲がない、どれをとっても良いレベルにある。おそらくバックグラウンドはウエストコーストロックンロールだろうが、この時代特有のしゃれたアレンジが嫌味でない。そういえば、早逝したDan ForgelbergのDVDで、live memberとしてベースとコーラスを担当していた。両名の、ピュアな精神性に、すごく共鳴するのである。



Switch's albums form 1978 to 1984 (including reaching for tomorrow, this is my dream, and V)
マイナーなグループなので、知る人は少なかろう。当時R&Bというかソウルというか、ブラコンとかいわれる黒人バンドが、たくさんチャートをにぎわした。兄弟いとこ中心のバンドで、あとからデバージでブレイクする、兄貴分にあたる。結構生かしたサウンドで、スピード感やアレンジ、演奏のうまさ、コーラスワーク、気に入って輸入盤を買っていた。邦版が出たのは、たしか7枚目からだ。中心メンバーのボビーが、繊細で美しいメロディーを奏で、他それぞれが多彩な音楽的才能を有して、ジェームスイングラムのいとこなどもおり、飽きさせない多様な魅力が詰まったLPだった。残念なことに、ボビーはどうも依存症で早逝し、残りのメンバーが、Oliver Scottと Lonnie Simmonsのレーベル(GAPバンドで有名)から、ソフトメローファンクに移行したラストアルバムを残した。ちなみに、この時代のLPは、どれもジャケットデザインが個性的で、スイッチも、東京の輸入番店でつい惹かれて買ってしまったのが出会いだ(らしき惑星が、光をあびて、SFのように映っていた)。

とりあえずこのくらいで、また別の機会に。

2014年2月14日金曜日

研究とは

本日、大学院の結果発表会にて、雑感

研究とは、そもそも何のために、誰のためにあるのか?

なぜ、研究に向かうのか?

自らの熱意や、理想、そして野心

それは大きなぼ動機や持続力の源

ただし、思いだけでは伝わらないこと、伝えきれないとがある


主観を超えて、多くの人にうなづいていただきたい

やみくもに闇の中を進んだり、

力任せな空想を力説するだけでは、

「ひとりよがり」な自己満足になりかねない、じつは厳しい世界


自戒を込めて、振り返ろう


自らの仮説を検証すること、

しっかりとしたデータを得るために、

研究デザインを吟味すること、


そして、想像しよう

たとえそれがアンケート調査や物質対象でも、

データは「人」である

結果は「命」である

これを、研究者の倫理、と呼んでもいい

データが手元に至るまでの、

様々な生の営みや、プロセスに思いをはせる力

血も肉も涙もあるのが、目の前の数字


が故に、人類は研究をし続ける

人類が、共感力や想像力を、より成長させるために


2014年1月30日木曜日

止揚力・・・メンタルヘルス通信より、ふたたび

相談場面で、人生の中で、出会う厳しく困難な出来事に、

支援者として、人としてどう処したらいいのか?

自戒をこめて、語りました

2010年のメール通信から、おとどけします

(「メンタルヘルス通信」No.9(2010年7月)



“カウンセリング・マインド 3つの理 ― 止揚力”


悩みや問題が生じるとき、おそらく2つの事態の葛藤や衝突が、おきているのではないでしょうか。


いずれを選択するか、しないか。

やりたいのに、やれない。

やるべきなのに、手がつかない。


結果として、あきらめや、全否定、まったく違う方向への逃避、自棄、途方に暮れて、ただ立ち止まる、延々と回り続ける、こうした苦悩の状況に至るのでしょう。


葛藤や衝突、これは、簡単に割り切れるものではありません。

だから、悩み、苦悩する。


「くよくよかんがえず、割り切ろう!?」

割り切ること、なんだか良さそうな方法だが、どこか大切なものを見逃してしまいそうです。


悩みながら、選ぶ。

苦しみながら、あきらめる。

なんだかすっきりしないが、実は大切な経験となる。


簡単に割り切るのではなく、解決できない自分を、甘んじて受け止められるか?

二率背反や二項対立から、より一段高いレベルで、成長することができるだろうか?



「あの時の落選があったから、選挙民の真の声を聞くことができた」

「今回の敗戦で、やっとチームが生まれ変われる」

こういった言葉を、想起します。


これを、止揚力と、呼んでみます。


私たちが、他者の悩みに触れ、他者の問いに直面するとき、独りよがりな答えを出すことはできません。

安易に割り切った助言やなぐさめも、言葉が素通りしてしまいます。



ただ、きくこと。


戸惑いを受け入れて、そこに居ること。


彼らが、止揚できるように、その媒介の場になること。


それは長く、はがゆい作業かもしれません。


それはときに、厳しい体験かもしれません。


止揚する、ということは、ある種の「覚悟」なのかもしれません。