2014年7月4日金曜日

大学と大学院の未来を予見する ― Xとの対話

X 先日大学院について、廃止も含めた意見が、公式な場で上層部からあったそうですが,,,衝撃的ですね!

U 大学院はビジネス・メリットがない、というご判断でしょう。経営陣としても、この少子化時代、大変ご苦労されておられると、拝察します。

X そもそも高等教育や学問の最高学府を、短絡的なボトムラインの上下で斟酌するというのは、これから日本が知的財産や科学文化立国として生き残るという方針と、矛盾する気もしますが

U もちろん、発展途上的な経済成長時代では、「目で見える数値に基づく資本主義」や「筋力ブレイン」が、最大限力を発揮する時代や時期もあったのでしょう。それを一概に否定したり、馬鹿にすることはできません。これからを見据えた戦略が、重要になりますね。

X 大学院の進学率は、男性13.5%、女性7%と、まだ高くはありませんが

U そうですね、一方では大学進学率は5割超え、おそらく6割に近づくでしょうし、応じて4年生大学の数も日本では相当多いですね(13000校)。

X そういえば、この春の大学就職率は94%で、改善しているようにみえます。4月の内定率も、9割を超えていますが

U 実は、分母は就職希望者に対する比率なのです。ですから、新卒者全体の進路をみると、安定的な雇用についていない割合21%、進学も就職もせずが14%と、どこでもいいから大学を出ただけでは、就職できない現実があります。

X そうですね、大卒の失業率も約0.7で、3年以内の転職率が4割と、決して甘くない社会現実が報道されました。そこで、資格があると有利とか、在学中に付加価値をつけるとか、実践力をあげるとか、巷で言われます。大学では資格の勉強をし、社会実践勉強をするとなれば、学問や研究をするという、大学の本来の目的はあるのですか?

U ゆえに、特に今後の日本において、大学院の意義や意味が大きくなるのではないでしょうか?

X でも、進学する子どもの絶対数は減っているのですね

U ええ、当然大学に入学する数は減るわけですから、大学の差別化と生き残りが問われます。事実、文科省の方針でも明確ですね

X そういえば、優秀(あくまで受験レベルですが、、)な学生の層や比率は、おおよそ一定で、バブル期から今でも、有名国立私立学生が就職するルートや割合は、それほど変化ないとも、専門家が述べていました。

U なるほど、就職難や離職する層は、中間層から下、ということですか。いわゆる偏差値の高い方々が目指す大学も、ほぼ決まっていると(いわゆるブランド)、予備校などは分析していますね。当然、地方の国公私立大は、それぞれ厳しい競走と、消褪の危機にあるのかもしれません。

X 一方で、2018年から定員より受験者が少ないということは、受けた全員が合格できるわけですから、学力や能力が不適合な層も、大学に進む、ということでしょうか。

U そもそも、大学を出たから素晴らしい人間、秀でた人間、とは違うわけです。人間としての有能さや、尊敬される人格と、知能や学力、ましてや学歴とは、一対一ではありませんから。もちろん、優れた知能を生かして、優れた研究をし、世界の役に立つ人、優れた学力を通して、地域の人々の暮らしをよくする人、そうした人生を通して、成長して、成熟していく方々が多いことも、存じています。

X 受験勉強は苦手でも、たとえば技術、建設、美容、調理、工芸、園芸、飼育、商売、運動など、秀でて、優れて、素晴らしい方々は、世界にたくさんいますね

U 元来社会的に生かしうる実務的技能的スキルや、きわめて実践的な技術を習得することに志向性と能力を有する方々が、それぞれ得意とする分野で、個人の人生が輝くことは、学歴云々とは比較にならない尊きことではないでしょうか。もし、適材適所といえない場で、費される場合もあるのは、残念です。

X では、大学が大学たるゆえん、勉強でなく学問をする場に、変革・復古できるのでしょうか?たとえば、オックスフードやケンブリッジとまでは言いませんが、わが国では実際、高校や中学の勉強を復習している大学もあると聞いていますが

U それゆえに大学の役割は、大学院が担っていくと、私は考えます

X では、中小の地方私立大学は、なにを目指したらよいのでしょうか?
就職率を上げる?
資格を取らせる?
実務的学科をメインにする?
地域に根差す?
産学連携する?
ほかにない独自独特な内容や活動?
など、うかんできますが

U そうですね、たとえば、薬学科はあまたの単科大学があり、国試合格率だけでは、売りにならないわけです。どんな独自性を打ち出すか。
看護学部も、バブルは相当続いていますが、流動性の高い職域であることに変わりなく、おまけに教員不足も明らかで、今後大学院卒のニーズが増えるはずですし、卒業生の質が問われることになるでしょう。

X 国家資格のある学科では、いかがでしょうか。資格合格率を上げる、国家試験対策は、どの大学もほとんど行っており、そもそも、専門学校に太刀打ちできない気もします

U そこに、大学院がある大学の、差異が問われます。結論から言えば、
専門性、信頼性、そして、ひきつがれる伝統です。
これは、言い換えると、
信頼資本
評判資本
共感資本
といわれるキャピタルです
これらは、数字や利益では測れませんから、優れたマネージャーしか、見ることも、判断もしえないのですね。

X もうすこし、わかりやすく説明くださいますか?

U わかりました。大学院設置基準を満たすには、相応の教官が必要であり、研究や教育レベルが担保されるわけですね。そこでの活動は、当然数は少なくとも、可能性がやどります。研究教育の業績のみならず、社会活動やメディア活動、出版や講演、場合によっては特許や技術など、教官のリソースはたからの山なのです。そこに大学院生がつく、羽ばたく、連携する、人脈のネットワークですね。このネット時代、そうした口コミや情報は、瞬く間にブランドとなっていきます。

X なるほど、ニュースになる研究者の動向も、ツィッターで発信されたりしますね

U そして、地域活動への還元を通じ、大学院がかつて大学のはたしていた役割の多くを担う、わけです。早稲田と高田馬場、スタンフォードとシリコンバレー、ハーバードやMITとボストン、といった感じですね。キャンパスは、文化を生みだしますから。

X それが、ブランドキャピタルとトラストキャピタル、ですね

U ええ。マウスイヤーの時代、値引きデフレ競争に見て取れる如く、学問や教育の哲学を失念してしまうと、不毛なビジネスモデルが闊歩する場となる危険があります。これはかつて、労働観を見失った日本の企業を襲い、これから医療や介護で起きうる懸念です。

X そうすると、これからの私立大学の生き残には、大学院が必須である、
なぜなら、
魅力、信頼、ブランド、を作り上げる場は、一部の有名大学を除き、今後、大学院にしか生み出しえないから、ということでしょうか

U そうです。「大学」、が、これまでの義務教育延長の場となった今、大学でおこなわれる研究業績、産学連携、地域貢献は、どこの大学もやれることは近似せざるを得ず、平均的なテーマに集約されることは自明です。そうしないと、経営的に、物理運営上も、持続不可能だからです。その理由は、冒頭の数字に示した通りで、数と質の平均化故です。学生のレベルに応じて、丁寧な進路指導をすればするほど、現実的なものにならざるを得ません。
もちろん、2SD以上偏った集団をターゲットに、奇をてらったやり方は別にして、ですが。

X 今後、大学院で可能性のあるアクティビティは、なにがあるでしょうか

U 私は、まず3つのアイデアがあります
1. 学内コンソーシアム
2. 介護福祉系・工学情報系・医療食品薬理系などのベンチャー創世
3. 多領域連携教育実習体験指導者の育成と外部からの受入れ
4. コンサルテーション・ステーション(スーパーバイズ機能やフィールタンク機能)
5. 情報発信(メディア)機能を持つ大学院へ
などを提案します

X コンソーシアムとは、どんなアイデアですか?
例えば、薬学ひとつとっても、基礎的研究にとどまらず、接客、情報提供(服薬指導ですね)、経営、チーム医療でのコミュニケーション、漢方と食品、ハンディのある方への投薬、プラシーボ効果の研究など、様々なテーマが生み出されます。それぞれ、心理社会学、経営情報学、食品栄養学、介護福祉学、行動科学などとの、学際共同教育研究が可能です。これは、地域の大学の売りとして、大変魅力的ですね。大学院をベースに、コンソーシアムを作り上げることが可能で、ひいては、地域貢献も不可能ではありません。

U なるほど。では、産学連携に関するアイデアはいかがでしょう?

以下のキャピタルの生かし方は、次回以降に、一つ一つおとどけしましょう。(続く)

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