2009年8月26日水曜日

インフルエンザ対策にみる「共感資本」*の在り様

新型インフルエンザが、流行の兆しを見せている。弱毒だとか、感染力は強いとか、予想より死亡率が高いとか、マスの数字だけでは見えない影響に、想像をはせたい。基礎疾患のあるかた、重篤になりやすい乳幼児や高齢者、自ら的確な予防行動がなかなかとりにくい障害をお持ちの方、こうした人々に、何としても蔓延を食い止めたい。

春先、メディアのエキセントリックでエモーショナルな報道に、社会の成熟度の低さを感じたことを、残念だがいなめない。あまりに過大な、また冷静さを欠いた対応は、感染症への対応に、まったく意味をなさないばかりか、負のインパクトをもたらす。社会経済に対する影響、医療費や医療資源への過大な負担、さらに感染者への不合理で全く理解しがたい差別や偏見など。

一方で、ごく当たり前の感染予防行動を、我々健常者はどこまで徹底できるのだろうか。咳エチケット、石鹸での15秒間の手洗い、水周りのない状況での消毒薬の使用、もし体調不良時は外出を控え、仕事や学校をきちんと休み、他の方への感染を極力防ぐ。ごく当たり前の行動以上の、ミラクルな解決策はないが、この指針はお題目でも理想でもない。学校停止の時期にカラオケボックスが流行り、熱があるのに合宿をし、自分がかかる前はマスクをするのに治りかけは面倒ではずす、解熱後2日も感染力はあるため自宅療養すべきところをアルバイトに出かける、どうせ皆かかるのだからタミフルやリレンザを飲めばいい、予防投与をすればいいんじゃないか??こうした危険な風潮まで、聞こえてくる。

基本的には、もしここで感染がひろがらなければ、一人でも少ない基礎疾患のある人、一人でも少ない子供が、命を落としたり、後遺症に苦しまなくても済む、そのための拡大予防の気持ち。自分のためだけではない、その共感性が、一つ一つのちょっとした労力や我慢をする根底に、あるべきだろう。行政がいうから、マニュアルがあるから、するのではない。その姿勢さえあれば、ごく当たり前の常識的行為が、できるはず。それこそが最大かつ最低限の、感染予防のポイントだ。

あわてて高度医療機関に殺到し、重篤かつ複雑な疾患をお持ちの方に、ウイルスをまき散らしてはいけないことは、「共感資本」*が十分な国民であれば、言わずもがなのこと


*「共感資本」については、田坂広志氏の言説に啓発され、引用した。深謝します。(BS Fuji Prime News/目に見えない資本主義)

2009年8月19日水曜日

精神病理学の復古と、新たな診断学の「らせん状」進化に向けて

かつて我々が学んだ、精神病理学。それはやや思弁的で、時に形而上学的であった。
そこには、生物学的視点との二律背反が存在した。時にその矛盾は、権力闘争に発展さえした。

精神病理学は、時代の要請に呼応し、操作主義の盛隆を迎えた。これは、曖昧模糊とした診断疾病論を、より科学的かつ実証的に共有しようとする、善意の試みでもあった。ただし、そこに精神病理学本流との新たな矛盾と葛藤を生んだ。それは、いわば善意のぶつかり合いに近い。
そもそも、外的基準のない複雑系の診断学であるから、精神病理学的記述分析も、それを普遍化しようとする試みの中で、多かれ少なかれ操作化せざるを得ない。

操作診断面接は、結局個々の人間が行なうわけで、ロボットでない限り、目の前のケースの内面に沿わないわけがない。こうして2者は、すごく近似してくる。まるで2大政党制のようだ。

重要なのは、こうした流れが止揚されうる、という視点だろう。ソフィアバンク代表田坂広志氏の、心ある未来予見にしたがって、らせん状の復古と進化*に倣ってみよう。おそらく、操作診断はもう一度病理学の深みを要請し、そこに当然のことながら21世紀の神経科学の進歩が基盤としての妥当性を与えよう。
世界的脱パラダイムを経つつある中で、縦断的なライフサイクルの視点が注目され、ここには発達の軸が当然包含されてくるだろう。そして、もうひとつ回復力(人間力)ともいうべき要素を考慮する必要があると、思う。これは、同じような虐げられた境遇で、同じような付与された知性を持ち、同じように周囲が関与したにもかかわらず、その行動・心理上病理が持続したり、しなかったりと、成長への様相が異なる、という子供たちに接して、気付いたことでもある。

おそらくこれは、関係性の力(内外の関係性を開き、作り、導く素因と能力)に源をもつのではないか?これは、リハビリテーションへの反応性や、新しいパラダイムへの親和性、といったことにも繋がる気がしている。そして、脳科学的には、前頭前野の育みに基盤すると夢想する。

この言説は、中田力氏(新潟大学統合脳機能センター長)、田坂広志氏(ソフィアバンク代表)、両氏の著作を含めた知的活動に学び、啓発された。心より深く感謝する。*:「使える弁証法」など参照

精神医学にとっての「治る」「回復」とはなにか?

複雑系の精神科アセスメント、それはアウトカムの変化にかかわる様々な内外の要因を、非線形回帰方程式として取り込むことに似る。

それは、うつ病における抑うつ得点の変化や、拒食症における体重の増加、統合失調症の陽性陰性症状の低下で、その事例が「治る」「回復する」と言い切れない事実を見れば、あなたにも納得がいくはずだ。

職場を休んでいる患者さんが、うつ症状が改善しても、職場復帰になかなかふみきれない。ここに関与する要因は、病状だけではないだろう。同僚への負い目、職場の受け入れ態勢、はたまた近所からの回避、そもそも自分の仕事への思いなど。
拒食症の中学生が、身体管理のため入院した。たしかに、病識はきちんとしていないが、病棟での行動療法で体重は増える。ただし、自立の葛藤、完璧主義の弊害といった、彼女の病理の一面がリヴィ-ルされた段階に過ぎない。いつでも、拒食や強迫などの適応障害状態に陥る可能性はある。縦断的な成長と経験の変数が、彼女に柔軟さをもたらす。それは、彼女にとっての治ることで、周りのだれかにとってのアウトカムとは別のものだ。
そもそも慢性精神科病棟の、おだやかな患者さんたち、この方々が、リアルな社会とある意味切り離されつづけてきたことは、人間社会、政治、時代という複雑系に目を向けざるを得ない事実だ。

いわばこの方程式(アセスメント定式)に含まれうる変数は、個人内の人格、対処行動のみならず、関係性の指標たるシステムの機能性や、社会経済状況も含まれる。ライフサイクルという縦断的素因も、発達の指標との偏相関を含めてアウトカムに寄与するだろう。
そして、治療者、支援者たるあなたも、すでにそのシステムに包含されていることは、量子論を持って明らかだ。客観的な観察など、あり得ない。どう認識するかは、転移や、よって立つ臨床理論(フロイト?認知理論?内分泌系?神経発達仮説?はたまた遺伝子?)によっても異なる。医療保険制度、地域の状況によって、アウトカムへの影響は変わってこよう。

重要なのは、係数の大きなプライマリーの変数をきちんととらえておくこと、これは生命保持や身体管理、常識的家族指導、薬物療法の的確な使用、職場への助言、などに例えられる。現段階のエビデンスは、決してこの方程式を解くものではない。
ただし、われわれが事例と共有する対話は、唯一無二の現実であり、そこから事例の過去と現在、そして未来が意味づけられる。これはナラティブに、アプリオリに構成されていくものである。

この言説は、中田力氏(新潟大学統合脳機能センター長)、田坂広志氏(ソフィアバンク代表)、両氏の著作を含めた知的活動に学び、啓発された。心より深く感謝する。