2009年8月19日水曜日

精神病理学の復古と、新たな診断学の「らせん状」進化に向けて

かつて我々が学んだ、精神病理学。それはやや思弁的で、時に形而上学的であった。
そこには、生物学的視点との二律背反が存在した。時にその矛盾は、権力闘争に発展さえした。

精神病理学は、時代の要請に呼応し、操作主義の盛隆を迎えた。これは、曖昧模糊とした診断疾病論を、より科学的かつ実証的に共有しようとする、善意の試みでもあった。ただし、そこに精神病理学本流との新たな矛盾と葛藤を生んだ。それは、いわば善意のぶつかり合いに近い。
そもそも、外的基準のない複雑系の診断学であるから、精神病理学的記述分析も、それを普遍化しようとする試みの中で、多かれ少なかれ操作化せざるを得ない。

操作診断面接は、結局個々の人間が行なうわけで、ロボットでない限り、目の前のケースの内面に沿わないわけがない。こうして2者は、すごく近似してくる。まるで2大政党制のようだ。

重要なのは、こうした流れが止揚されうる、という視点だろう。ソフィアバンク代表田坂広志氏の、心ある未来予見にしたがって、らせん状の復古と進化*に倣ってみよう。おそらく、操作診断はもう一度病理学の深みを要請し、そこに当然のことながら21世紀の神経科学の進歩が基盤としての妥当性を与えよう。
世界的脱パラダイムを経つつある中で、縦断的なライフサイクルの視点が注目され、ここには発達の軸が当然包含されてくるだろう。そして、もうひとつ回復力(人間力)ともいうべき要素を考慮する必要があると、思う。これは、同じような虐げられた境遇で、同じような付与された知性を持ち、同じように周囲が関与したにもかかわらず、その行動・心理上病理が持続したり、しなかったりと、成長への様相が異なる、という子供たちに接して、気付いたことでもある。

おそらくこれは、関係性の力(内外の関係性を開き、作り、導く素因と能力)に源をもつのではないか?これは、リハビリテーションへの反応性や、新しいパラダイムへの親和性、といったことにも繋がる気がしている。そして、脳科学的には、前頭前野の育みに基盤すると夢想する。

この言説は、中田力氏(新潟大学統合脳機能センター長)、田坂広志氏(ソフィアバンク代表)、両氏の著作を含めた知的活動に学び、啓発された。心より深く感謝する。*:「使える弁証法」など参照

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