2010年8月2日月曜日

空港の想い出

空の港、そこでは人々の出立と別れ、帰郷、旅路、さまざまな物語が紡がれる。
夏休み、海外旅行にでかける子供たちのニュースが流れる。
そんな時期が、また訪れた。

まだみぬ異国の地を想い、期待と不安に胸を躍らせる。
時に、重いものを背負い、長いフライトに臨む。
しばらくぶりに戻った祖国の雰囲気やにおい、
空港のロビーは、これまで住み慣れた場所からモードが変わる、最初のゲートである。

船旅の時代は、港が今生の別れの場にもなったかもしれない。

いくつもの情景や感触が、よみがえる場所、それがポート。

昔よく訪れたアジアの空港では、人々のエネルギー、猥雑ともいえるパワーが、いまでも強くよみがえる、プーケット、ランカウイ、バリ、きんぽ、バンコクなど、それぞれに音と香りが違う。

傷心のダイビングに一人南へ向かった時、パラオへのトランジットで深夜数時間過ごした、ひと気のない島の空港、あの静けさ。

学会でヨーロッパを回った時、最終地であるノルェウーのオスロ空港の、こぎれいなカウンターで、あちこちの通貨を変えるのにずいぶん手間取った。でも、フィヨルドで有名なベルゲンは、こじんまりとして、かわいい街だった。

オーストラリアの空港には、それぞれ忘れがたい思い出がある。
シドニードメスティックの朝飯(おおかた寿司ロールですませた)、メルボルンの空港バス(朝便なのでいつもきつい)、パースではフリーマントルの方が懐かしい。
レディエリオットやカンガルー島、ランセストンなど、小さい空港も乗り換え時間が長かった分、記憶に残っているのだろうか、かえって味があった。
ブンダバーグの町の売店で、ちょっと差別的な高齢女性がキャッシャーにいたが、翌日ブリスベン行の小型機でたまたま隣座になった。お年寄りに手を貸してあげていたら、驚いた顔をしていたことを思い出す。

正月に弟と台湾屋台めぐりに訪れた、広々した高雄空港。でも本当に広かっただろうか?少なくとも六合夜市がやたら大きかった!ので、記憶が入り混じっているかもしれない。

ネパールのポカラという山の町に、プロペラ機で降り立った時、飛行場?に牛がいた!
道で雨宿りしていた時、日本語で話かけてきたネパールの男の子、いまはなにをしているだろう。

ボラカイ島に行った時も、やはりプロペラ機はなにげない草地に降り立った!
同乗した旅行者の小さい幼児たち、サバイバルにたけた大人になっているだろう。

とりとめもなく、あちこちの空港を思いだす。

今、ネット上では、バーチャルな港がある。
検索ソフトのゲートページなど、空港の様なものだ。
多くの人が買い物をし、情報を集め、目指す場所に飛んでいく。
グーグルアースで一瞬に世界を駆け巡り、行ったことのない場所に舞い降りる。
名前も知らなかった世界の小さな村の、だれかのつぶやきがすぐに飛び込んでくる。

時間や距離は、相対的にずいぶんと変化した。

21世紀、そろそろハブ宇宙港ができるかもしれない。

ただし、そこに生きる人間が、何を思い、何を感じ、何をつかむか。
港がスピード化し、宇宙まで広がっても、実のところ、使う人は、そう変わるまい。
ゆっくりとした時の流れや、空間の観察から得られる感覚、これも捨てたものではない。

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