2010年7月21日水曜日

メンタルヘルスの現場で感じる無力感

自殺予防やメンタルヘルス対策の現場で感じる違和感
メディアの報道や社会の問題意識と、
実際その場に対峙する個々人が「どう思い、何ができるか」という現実とが、
残念ながら、時にかい離しているのでは?
危惧しているのだが、、

知識レベルでの現状認識や「声かけ方」などの対処策、組織レベルでの啓もうやシステム作り
これは大前提として、
ごく当たり前の相互扶助感がない中では、ボールの投げあいやセクター化を生みだしやしまいか?

「うちの部署で問題が起きたらこまるから、とにかく休んでいてほしい」
「メンタルというが、このくらいのことはみんな我慢している」
「何かして逆効果だと怖いので、とにかく専門家にゆだねておこう」

そもそも、人は環境なのかに生きている
これだけの自殺者が出る環境、そこに我々も他人事でなく、すごしている
みんなが強く我慢できるようになる、それだけでいいのか?
当たり前の傷つきや躓きさえ許容されない、そんな風潮がある中で、だれがどうやって人を救えるというのか?
「その姿、何年か先、もしくは何年か前、自分そのものかもしれない」という、『お互いさま』の思想はどこに消えたのか?

心と言葉が一致しない、マニュアル通りの「むりしないで」「やすんでいいよ」
ひいては、下手に手を出さないほうがいい、専門家にまかせさえすればよい
このくらのことでこうなるほうが弱い、という価値判断が暗黙の了解、
そうした組織システムの中で、
どんなに「いまはあせらず」「よくなればとりもどせる」といった言葉を伝えても、、、


基本となる集団環境は、個人が形成するシステム、そして複雑なものには命が宿る
命を失う社会では、個々人が何かを見失っているのかもしれない


何かが起きたら”カウンセラー”、まるで魔法のことば
メンタル知識では、うつのせいと習いました、とにかく医者にかけること
労働状況のせい、経済のせい、あとは人事課や庶務課にまかせておこう
もちろんそれらは大切なことだが、、、

真にその人の立場に立った
「いまは、やすもう」
「健康さえ戻れば、なんとかなる」
「できる範囲で、力になりたい」
”言葉の力”
その復活を願うばかり

かかわるかたがたお一人お一人の、
常識的な想像力と共感力
それこそが、真のメンタルヘルスを導くカギ

そう痛感しているのだが、、、いかんせん微力である

0 件のコメント:

コメントを投稿