2010年7月14日水曜日

人生について語られたこと-水木しげる氏の「カランコロン漂泊記」から

NHK朝ドラで話題の水木御大、その著作(小学館)から、「幸福観察学」を通じて学ぶこと。

「、、“霊界”があると考えるのと、“無い”と考えるのとでは、どうも同じように生きても、その幸福観というか、安定感が大きく違うような気がする。(中略)人間はまだ地上に生まれてくるが、何かわかりかけると死んでしまう、ようになっているのだ。最近の楽しみは、霊界での再生(いや人間は死なない)だ。」

ユーモアというよりも、ナチュラルなメタの視線、とでもいうべきか。
なんとも、余分な力が抜けて、豊かな別世界につながっておられる。
それは、氏が良く語る「うんこ」や「おなら」論議でも、同様である。

「人間は生きようという意志の強弱があり、目に見えない意思の強弱が、死に方にも影響すると思っている。“意思の力”、はバカにならんというわけだ」


戦争体験が、氏の幸福学に大きな影響を与えている。

前線での不審番(みはり)で、敵の襲来ではなく、南方ジャングルや朝日の『美』にみとれていたために、逆に死の運命を逃れた。

腕を切断してから半年も入浴できずにいた氏を、風呂に入れて洗ってくれた兵隊たち、どうもヒトの中に『ボサツ』が混じっていたらしい、と気付く。一方で『悪魔』も混じっているが、そういう次元の異なる(!)方々は、目には見えず【憑く】といった現れ方をするという。


カランコロン的幸福論に基づく、示唆の数々がちりばめられている。

答案用紙の110点!に自らおどろき自信を持ったという話は、笑いの向こうに、深い世界が広がる。
実は、0点の下に強調の棒2本、そんなテストの回答用紙を、つい90度回してみてしまい、
「おれはなんて天才だ、開校以来だれも110点をとった者はいないだろう」という、水木世界。
「毎日賢くなるのは、すべてを斜めに見ているからカナ?」

『睡眠力と偉大なる胃、そして貧乏力』
睡眠力による、マラリアからの回復?は、妙な説得力がある。
「、、大好きな妖怪たちとの接触、時をみて冒険旅行、そしておいしい毎日の食事。すこしぼけたせいか、毎日が楽しくてたまらない、というより胃を人に分けてやりたいと思うのも、ぼけのはじまりかもしれない」
健啖です。

「貧乏から金持ちになると、得体のしれない恐怖みたいなものが横に座っていた」
(素晴らしい外在化!)。
「おまえは、心配神、ヒトをくよくよさせて、幸福にさせないのだ!」
「そうさ、ひとは俺を追い出すのに大騒ぎ、おまけに変な宗教を作ったりして」
「あっちいけ、俺には貧乏力がある!」
(素晴らしい、positive connotation)

「どうしてそんなに働くの?」という猫のことば、
「この世は通過するだけのものだから、あまり気張る必要はないよ」、と言われ、
「ふーん、動物も植物も決められたようにしか生きられないのだ。
力んでも屁が出るくらいのことで、あまり差がないようだな~」

おっしゃるとおりかもしれません。

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