2010年2月5日金曜日

過去コラムより、ふたたび―苦闘する仲間との対話を通して気づくこと

問題児や障害児の作り上げられ方:私たちの職場や周囲でも簡単に見つかるかもしれません
 
クラスで何か問題を起こす子、ところがその子は誰もが目をつぶり、誰かが言いたかったことを、行動にして素直に反抗したり、要求しているだけだったりすることはないだろうか。家族や親族の中で、あいつは問題だ、お前がまたか、などといわれる異端児は、これまでの硬直した家風やら、がんじがらめのしがらみから単に自由に生きている人間らしい人だったりもする。時に、それぞれが所属する(すんでいる)人々の中で、なんかへんだ、これはおかしい、でもみんな我慢している、みんなはうまくやっている、こうすれば?こういう見方もあり?といった意見や行動をする人々は、時に「病気」、時代によっては「障害」、場合によって「狂気や魔女」として、迫害や、偏見や、抹殺されてきた。実は、彼らを攻め立てている人の中にも、ひそかに存在している考えや欲求を投影する対象として、自分で自分を押さえ込むようにして、厳しく槍玉に挙げられる。こうした動きは、様々な映画や物語で語られてきた。

実は同様な事態は、見渡せば我々の所属する職場や地域、仲間内にも簡単に見出すことができる。


一つの逸話を紹介しよう。知人Dr.Hの病院では、地域の中核を担うがゆえに重度・専門のケースが多く来院するという。しかし、外来は雑多な事例で混雑する。それが悪いと一概に言えないが、彼の言うには「きょうは仕事が休みなので、予約外でどうしても見てほしい」と半年ぶりに電話依頼するものの病状は緊急性にとぼしいケース、「薬だけ出してほしい」と突然夕方訪れるケース、安定していて地域の開業クリニックにお願いしたいケース、予約制なのに全く度外視して受付で無理を強いるケース、などなど、本当に専門医の診察が必要なのか?数少ない専門医の時間や労力を、必要なケースに集中してかかわれないジレンマ、を抱えているという。おまけに、かかってくる電話や問い合わせに、いちいち診察中によびだされ、集中力が途切れ、ケースへ向けていた配慮や技法が台無しになってしまう、こんなこともざらにあるそうだ。

そうした専門性を、内部的にはどのように受けとめ、サポートしているのか、ぜひ知りたくなった。ところが、である。会議はなんと世間話に毛の生えた議論に終始し、働きやすいシステムを話し合う余地はないそうだ。おまけに「医長は朝から晩まで頑張っているのだから、皆もやれて当然」「大変なのは、みんな同じ。事務受付が悪いのではないし、それぞれのスタッフもそれなりにやっている」といった具合で、それぞれが今の悪循環をなかんずく受け入れ、それぞれの滅私奉公の頑張りにのみに終始しているらしい。たとえば、システムを変え、多少のご不便やご不満も受け入れつつ、きちんとした流れを作り、医師が専門性を十分に担保される環境でミスの起こりにくい、かつユーザーも納得のいく医療を受けられる工夫や、ソフト・ハードの整備へと、そんな話合いができないだろうか?と質問してみた。そんなことを提案したら大変なことになる、という。「またあいつができもしないことをいっている」「そんなわがままを言ってもはじまらない」「できもしないことをいうだけむだ」「問いあえず問題のないようにやれるだけのことをやっていればよい」「ちょっとあいつは変なんじゃない」そのうちに「ボーダーラインン(*)の行動化だよ、例のバイポーラー(**)の始まりだ」、などなどレッテルや診断づけがされ、彼は組織のマイノリティーと化すわけだ。

さあ、これは上で見た、クラスにおける問題児の作り上げられ方、家族におけるスケープゴートの出現、地域における障害者の立場、世界における異文化の受け止め方、などなどにも通じる視点であるわけだ!そして、かれはなんと、外来構造変革を唱えているという。たとえば、午後を専門、院内、至急の受け付けに絞り、午前に慢性安定例を見る枠を作る、ただ忙しく何かをやっている、というのが良しでなく、ここで必要なニーズを見極める、という簡単なことを提言したらしいのだ。ただし、大いなるレッテルを張られ、その組織を追い出される寸前にあるという。

ここで、尊敬する同年代の有志、Dr.Sとのやりとりで、彼のコメントに、あまりに心打たれたため、ここに一部紹介する。(内容は、固有名詞を避け、多少プライバシーに触れないよう脚色している)。彼は、医師のリクルートなどにも一時関与された経験がおありだ。

“40歳前後の中堅指導層,臨床の腕も留学経験も業績も人望もあり,そうした人ゆえ診療教育研究運営の中でもみくちゃになり「辞めなければ死んでしまう,しかし開業して研究を離れるのも口惜しい」という見解で、転職希望された方がある所には大勢いらっしゃる.「先生のような方が抜けたら患者,部下同僚が困りませんか」と問うと、異口同音に「そうだとしてももう限界」という答え.良心的な中堅医師がそこまで追い詰められていることを大学も社会もmass mediaも否認し続けている。”

“Blair政権下でUK政府は政策を転換し,医療費を増やし、医学部を新設した。それでも、英国で漏れ聞いた医師の待遇は日本よりもましでしたが.日本は医療よりも原子力,高速道路,国防費を死守する国であることが明らかな今,滅私奉公は短期的には患者のためにならなくはないにせよ,現状の黙認に資するとよく思います.“

“先例墨守,閉鎖性と独善,鎖国攘夷の体質においては公立病院、国立大学法人、私学など大差ないと思われます.大学の制度疲労,lack of management,古色蒼然たる鎖国的mentalityは、大同小異です.崩壊していく国,文化,医療とともに在るのは運命として他に選択肢はなく,せめて崩壊の速度を少しでも遅くし,崩壊が多少なりともless harmfulであるように貢献するのが我々の世代の務めでしょうか.“

障害や問題を、いかに解決や対処に変容するか、そうした文脈を作り上げる仕事をする我々自身が、こんな状況にあるということは、悲劇であり、喜劇でもある。
(2008)


*ボーダーライン:境界例。「神経症的な仮面をかぶった精神病」という病態認識ののち、不安定で空虚、衝動的な心的・行動的特徴を示す一群が、境界性人格として位置付けられた。それら事例の人格構造は、同一性の拡散、原始的な防衛機制、表面的な現実検討保持、という特徴を示す。

**バイポラー:双極性障害の略称。躁とうつを繰り返す気分の変調を主とする病状。軽い躁の場合、通常の状態と区別しにくい。

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