2010年6月29日火曜日

人生について、語られたこと‐村上春樹氏のエッセイより

「走ることについて語るときに僕の語ること」(文春文庫)より

ありきたりな出来事の積み重ねの上に、今の自分がいる。
そんなことを、自分もふと考えたとき、このフレーズが何か心に残った。

「、、、今、ここにいる。カウアイのノースショアに。人生について考えると、ときどき自分が浜に打ち上げられた一本の流木に過ぎないような気がしてくる。」

かつての自分には想像のつかない今を生きていると感じるとき、このフレーズが心に響く。

「年を取るのはこれが生まれて初めての体験だし、そこで味わっている感情も、やはり初めて味わう感情なのだ。、、、細かい判断みたいなことはあとにまわし、そこにあるものをあるがままに受け入れ、それとともにとりあえず生きていくしかないわけだ。ちょうど、空や雲や川に対するのと同じように。」

同じことを繰り返していると、ふと気付いた時、このフレーズに慰められた。

「、、ある種のプロセスは何をもってしても変更を受け付けない。、、、そのプロセスをどうしても共存しなくてはならないとしたら、僕らにできるのは、執拗な反復によって自分を変更させ(あるいは歪ませ)、そのプロセスを自らの人格の一部として取り込んでいくだけだ。やれやれ。」

人生のゴールを少し考える年になり、このフレーズが何かを導いてくれる気がしている。

「終わりというのは、ただとりあえずの区切りがつくというだけのことで、実際はたいした意味はないんだという気がした。生きることと同じだ。終わりがあるから存在に意味があるのではない。存在というものの意味を便宜的に際立たせるために、あるいはまたその有限性の遠回しな比喩として、どこかの地点にとりあえずの終わりが設定されているだけなんだ、そういう気がした。」

そして、目に見えない、数字にあらわれない、生きること(走ること)の価値にむかって。

「大事なのは時間と競争することではない。、、、どれくらい自分自身を楽しむことができるか、おそらくそれが、これから先より大きな意味を持ってくることになるだろう。数字に表れないものを僕は愉しみ、評価していくことになるだろう。そしてこれまでとは少し違った成り立ちの誇りを模索していくことになるだろう」

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