2013年7月1日月曜日

共感力 ふたたび

MH通信より

共感力について

お送りします



「メンタルヘルス通信」No.8(2010年5月)
“カウンセリング・マインド 3つの理 ― 共感力”

前回から、日常の学生相談場面で心に留めておきたい姿勢を、3つの視点で考え直しています。


今回は、“共感力”


その学生さんは、自信を喪失しているようでした。

「自分は他人と比べて要領が悪く、周りとうまくいかない。
一人でこつこつやっているだけでは、意味がない。
自分は、駄目な人間ではないだろうか?」

一方で、担当教官は、こう思います。

これまで、それなりにがんばってきた学生さん。
おとなしいタイプで、リーダー的にふるまうことはない。
しかし、言われたことをきちんとやる。
そんなに卑下する理由は、特別ないのに。
自分自身に、多くを望みすぎていないだろうか。
完璧にすべてを兼ね備える必要もない。
無理しなくてもいいじゃないか?
そんなことを、伝えたいのですが。


悩みを聞くとき、私たちの中には、さまざまな思いや、気持ちがわきあがります。
それぞれの人生経験から、たとえば、

「そんな自分でも、いいじゃないか」

こんな言葉をかけたくなる時も、あるかもしれません。

この学生さんの「理想」や「自尊」をかいま見た時、私たちの中にどういう思いが、うかぶでしょうか。

たとえば、「自分らしくあろうとしない君?」、、、

その一方で、「自分自身を認められないつらさ」に、共感できるでしょうか?

「共感」、簡単なようで、とても難しい。

共感は、「かわいそう」、という情けや憐れみとは、違うようです。
たしかに、私たちが同情で接しられたら、
「同情されるのはいや、だから人には話したくない」
と思うでしょう。

共感は、ただ一緒に嘆き悲しむこととも違う、といわれます。
メディアがしばしば扱う、
泣ける本、泣ける映画といった、
安易な感情の吐露とも、違うでしょう。


「共感とは、その姿がまさに自分の人生であったかもしれないという、切実な思い。
自分の人生であるならば、その体験を単なる一つの言葉でかたづけられたくはない、という強い思いに立った姿勢」(多摩大学大学院教授、田坂広志 氏)


まず、私自身の中にわきあがる思いを、受け止めることが必要だと、
「共感の作業」をとおして、痛感しています。


さて、学生さんたちは、教職員の方々や同世代の人々とのかかわりの中で、こうした問題や葛藤を自分自身で見つめ、成長していくのでしょう。

次回は、葛藤を止揚する力について、考えてみます。

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