2013年5月30日木曜日

想像力 ふたたび

メンタルヘルス通信で、

「カウンセリング・マインド 3つの理」

について、語りました。



相談されたとき、どう処したらよいのか?




そもそも傾聴とは、何か?、




答えのない問いに、どう向き合うか?




まずは、想像力、について。









「メンタルヘルス通信」No.7(2010年4月)
“カウンセリング・マインド 3つの理”

今回、日常の学生相談場面で、心に留めておきたい姿勢を、考え直してみました。
3つの視点で、語ってみたいと思います。

想像力、共感力、そして、止揚力。

今回は、想像力について。

「ある学生が、悩みを抱えているようです。
なんとなく、元気がなさそうです。
研究のテーマが、あまり進んでいません。
周りの人とも、あまりかかわろうとしません。
意見を聞きに来るわけでもありません。
時々休んだりもします。
どうしたらよいのだろうか。
大学生だから、自主性に任せたい。
はげましたら、元気がでるかもしれない。
今の学生は、ちょっとしたことで傷つきやすいようだ。
専門家に任せてしまう方が、安心だろうか。
ちょっと、カウンセリングでもうけてみたらどう?
そう言ってみようか」

こうした時、役に立ちそうなマニュアルが、冊子などで紹介されています。
でも、実際にそれで良いのか、迷います。

この学生は、どんな人柄だろうか
どんな状況にあり、どんな気持ちなのか
なやみを人に打ち明けたいか、それとも弱音を見せたくないだろうか

明らかなのは、わたしたちが感じる、
「この学生は何か悩みを抱えているかもしれない」、という感覚。

自分が、もし同じような立場に置かれたら、どうしてほしいだろうか。

たとえば、家族のことで懸念があり、いつも心配で頭から離れない。
そんなときに、「まあ、元気を出して」という言葉の伝えること。

アルバイト先の人間関係で悩んでいる、経済事情もありやめるわけにはいかない、学校に身が入らないこともある。
「大学生だから、自分で判断できるのではないか」という言葉で伝わること。

研究テーマのことで納得がいかない、かといって忙しい教官に、初歩的なことを聞くのもはばかられる、自分からあれこれ切り出すのが得意ではない。そもそも自分から相談に行けるような性格なら、悩まないかもしれない。
「カウンセリングでも行ってみたら?」という言葉が伝えること。

相手の立場だったら、自分はどうしてほしいか、どうされたくないか、そもそも誰に何を伝えたいか、伝えたくないか。

自分はその人にとって、どういう存在だろうか。

想像力、それが、いろいろなヒントを、与えてくれる気がします。

何もいわないで、ただ見守ること、それが最大の助けになる時も、ある。

こちらから積極的に声をかけることが、解決の糸口となる場合も、ある。

カウンセリングを受けてみたら?という言葉に、どんなメッセージが伝わるか?

「あなたのことを心配している、私も含めて相談できる人がいる、私たちも一緒に考えてみよう」、こうした善意のはずです。
時に、「わたしには話を聞く時間がない」「わたしの役割ではない」「あなたの問題は手に負えない」というメッセージが、伝わってしまう場合もあるようです。

ことばかけは、難しい、いつもそう感じます。

こんな時、共感力、が役に立つのかもしれません。

次回、共感力について、考えてみます。

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