2009年9月10日木曜日

「音楽と胎教」をめぐる連想

先日、熱心な研究者の先生方と、胎教における音楽の役割について語り合う機会をいただいた。

子供がおなかにいるときから、母親が声をかけ、口ずさんだ歌。きっと、こどものこころや脳のどこかに、息づいているに違いないという実感や体験。

おなかの中にいるときに歌いかけたメロディー、生まれて成長して、覚えているはずのない歌にあわせて、おどったり、喜んだりする幼児の話。

わらべ歌をうたう、おちちをやる、子供を抱き締める、そうしたごく当たり前の母親の行動が、危機にひんしているという。

胎教どころではない、実態。

とにかく保育所や幼稚園、幼児教育に預けていれば安心?

CDで、良い音楽を聞かせておけば、良い子に育つ?

そんな事態に、素朴な疑問をもち、デジタルによるノイズが脳に悪影響を与える科学的な実証を示そうという、熱意ある研究者の先生方であった。

4日に1人の子供が、虐待で無くなる社会。

子供と自分、もしもの時にどちらを優先するか?こんな問いにさえ、躊躇する親たちがいると、報道は伝える。

ここで、世界子供白書の、一節が、脳裏をよぎる。これを読んだとき、いつまでも、心から離れなかった。

「世界には、胎教にモーツゥアルトとブラームスのどちらを聞かせたら子供の脳の発達によいか、と夫婦で話し合える豊かな社会と、一方で、妊婦や子供たちが銃弾の音に脅かされ、地雷を踏まないように母が乳飲み子を抱えてサバイバルせねばならない多くの紛争地帯がある」

胎教に目を向けること、生の声をかけること、母親が心安らぐ歌を口ずさみ、生まれてくる子を思うこと。

私の子が妻のおなかの中にいるときに、エコー検査に立ち会った。

羊水の中で気持ちよさそうに欠伸する、生まれる前のわが子を目にした。

とても、穏やかな瞬間だった。

おそらく子宮の中は、安心で安全で温かい世界。まるで、世界中に包まれた、ゆらゆらとした海の中。宇宙に浮かぶ地球のよう。その時伝わってくる母親の「声」。

その後訪れる、ダイナミックな脳神経ネットワークの発達や淘汰の中で、きっと記憶(保持貯蔵)されているに違いない。

人は自然を「マザー ネイチャー」とも呼ぶ。

人の根源、宇宙の根源にかかわる、保証感の源、

母の声、音を楽しむ波動。

胎教と音楽をめぐって、いくつかの思いが巡った。

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