世界は、実にあいまいなものである。
最新物理学や、ポストモダン社会学が、それを示し諭すように。
尊敬してやまない中田力 先生が、日本医事新報に寄稿している「フィロソフィア・メディカ‐複雑系科学入門」を、毎回心待ちにしている。
若き修業時代、邂逅をいただいたときの印象は、衝撃的であった。
これが、天才というものなのか。
自分の思考が、小さな虫の歩み、に思えた。
一方で、魂をこめて、臨床への熱意と人への優しさも、語られた。
先生の研ぎ澄まされた語り口調や、厳しくも温かい表情を思い起こしつつ、拝読する。
「現代社会は、すべての干渉系が非線形行動を起こすことを前提として、容認できる近似の中で成立している。複雑系の最前線にいる我々は、“曖昧問題”を認めることで、なんとか正しい方向に歩みを進める」
「絶対基準や正解のない中で、古来より人が真摯に物事を考える態度を、哲学と呼ぶ。人は哲学を持ちつつも、それを神格化せず、揺らぎを認め、個々の人間に主権を保持してきた」
「しかし、答えのない問いを求めるなかで、非線形運動を可能にした『小脳』と、哲学する脳である『前頭前野』を持つヒトが、いつからか暴走し始めた」
「物理学と哲学のかい離により、おのおのの正当性と存在価値が空論化している」
これは医療と医学のかい離にも影響していると、示唆される。
「個々の人間が、医師になるという決断過程の中で真摯な思考を重ね、臨床現場で日々悩むことにより、哲学を成熟させることができるという伝統が、今、失われている」、と言う。
「自然界にある形態は、『法則』と『環境』により、自己形成される」
それは、まるで雪の結晶のように。
「同様に、DNA遺伝情報をすべて読んでも、人は理解できない。そこには、規則の記載しかなく、自己組織化された結果は、作ってみないとわからない」
今の医療崩壊や、マネー資本主義の破綻、グローバリズムの限界、ひいては地球環境問題には、共通する二律背反、二項対立がはらんでいるように、思う。
最先端の人類は、これらの矛盾に直面することによって、実は哲学と科学の新たな創生へ、向かっているのかもしれない。
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