2010年3月24日水曜日

フィロソフィア・メディカ(中田力 氏、日本医事新報連載中)から受ける、深き薫陶

複雑系科学入門と題したコラムは、毎回刺激的で鋭く、世界を形作る原則へと、我われを導いてくれる。
こころに響くフレーズを、一部のみ引用する。
全文を読むべきなのはいわずもがな。

『複雑系自己形成の原則に従う大脳皮質は、自己を原点とする3次元空間の認知と経験により、発達成熟する。
ヒトは、自分が直接経験したことのない情報ですら扱える、「視点の移動」、という形而上学的情報操作能力を、前頭前野の賜物として、獲得する。
その時、開かれた系こそが適切な自己形成を生み、どのような視点からも客観性を保つ知性は、真摯な論理思考を裏付ける。
一例として、キュービズムは、絵画における相対性理論の提唱であり、視点の移動可能性の表れといえる。
これは、脳の高次機能をもって初めて具象化されるプロセスである。

近代医学は20世紀に誕生したが、「医療」は古典である。
古典医学は現場で獲得された経験側であり、古今東西問わず、人類共有の財産である。
医学が、いかように進歩しても、複雑系の産物である「生命」、この崇高で偉大な対象を、線形思考だけで解決できないのは明白であるのに。
もちろん近代物理学は、「ゆらぎ」を認めることで、決定論と万能という命題を棄てた。
医療における不確定性は、複雑系のもたらす予測不可能な行動に由来し、実際やってみないと結論は出せない。
しかし現場では、神にたずねるわけにいかず、医学エビデンスにもすべてをゆだねられない。
経験則は、必ず良い結果を生むとも限らない。
医師は神ではないが、単なる人間であっても責務が果たせない。
この立場は、教えられて理解できるものではない。
自分の無力さを知りつつ、直面する患者の苦悩をどうにかしなければならないジレンマに、何度も眠れない夜を過ごした経験から勝ち取るものである。
絶対為政者の愚行を抑えるのは、複雑系の偉大さを体で教え込まれた、こころのきれいな現場の臨床医しかいないだろう。』

最後の部分では、何度読みかえしても、「あついもの」が自然と込み上げてくる。

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