2009年10月28日水曜日

“連携”という名の”諍心”-Treatment and Education of Autistic and related Communication- Handicapped Childrenに学ぶこと

先日、某学会の組織委員会に参加した
以前から思っていた違和感、それをまた、痛感した

“連携”という言葉の上で起きること

困難なケース、医療だけではどうしようもできない
ただし、「何とか障害」と名がつくと、『医療』で何とかするべし、という理解がうまれる

ここで、「 」と『 』の中を、学習の問題と教育、しつけと家庭、非行と司法、などと言い換えてみよう

発達障害の事例、専門のセンターで複雑な病理も扱う、治療の手立て、どこにもないじゃないか!医療は何をやっているんだ。

病院では、戻る家族のない、過ごす場のない、思春期の事例を抱える、医療ができることはわずかという意見、相談所は何もしてくれないのか。

教育現場での理解をさけぶ、ただし学校では、診断されたにもかかわらず、対応しにくい問題は持続する、じゃあ、だれがどうしたらいいのか?

家族が崩壊している、家族に戻ると、悪くなる、施設に入れるわけでもない、どこで過ごすのか?家族の歴史、状況、非機能性を、施設ではいつまで引き受けるのか?

そもそも就学後も続く人生、年齢がくると、かかわる機関も手を引く

言葉でいえば簡単、医療・福祉・教育、司法、心理、エトセトラ
しかし、問題の多面性と多様性、そしてライフサイクルの視点をもってすると、
縦横にまたがる存在としての「障害」が見えてくる

それぞれの専門家が限界を認識している
それぞれの専門家は、その専門性の中でできることをする

できないことが多い、ほかの領域でやってほしい
範疇の外へ回す、依頼する
ここまでしかやってくれない、こういう場合はだれがどこでどうするのか

そもそも発達障害、治療し治癒するべきが、正論なのか?
健常者がよってたかって名付けること、診断することが、一義的か?

こんな気持ちが、違和感の中に、見えてきた

TEACCHの現場でおきていること
それはショプラー教授のいった、「すべてのスタッフがgeneralistになること」
理想ではあるが、その場におきる連携は、specialistのボールの投げ合いとは違っていた。
それぞれが抱えあい、助け合い、理解し合うことだった
それは情報も、工夫も、限界も
そこでのスタッフ、家族、当事者の穏やかさは、魔法のような技法から生まれたのでないことを、知った
語られる問題や工夫は同じでも、そのスタンスや視線が違った
医療は教育での努力を知り、家族は専門家の知恵を知り、地域は関係者の姿から、工夫の向かう先を、見据える。
それは、多文化への理解と共生
間違っても、上から目線のバリアフリーではない

オフェンスがデフェンスもする
その動きを理解できる
言葉が通じる
戦略的なボール回しとも言える
戦略とは、「いさかいを略すこと」

いつも語られる連携、という名の、ボールの回しあい、抱えることに肯定感の持てないシステム、そこへの違和感であることに気付いた
そこには、諍いの心、があった

再び、田坂氏の言葉を、引用する


マジックを求める心

かつて、英国のサッチャー元首相が来日したとき、
その記念講演会に招かれました。

明確な思想と強い信念を持ち、
国内の多くの抵抗に遭いながらも
英国における困難な改革を成し遂げたサッチャー氏は、
その静かな話し振りの奥に、
確かな気骨を感じさせる人物でした。

しかし、その講演の後、
出席者からの質問を受けたとき、
我が国の著名な識者の一人が、
ある質問をしました。

サッチャーさん。
日本は、いま、長く経済的低迷の時期にありますが、
もしあなたが、日本の首相であったなら、
どのようにして、この国の建て直しをされますか。

その質問に対して、
サッチャー氏は、質問者の心を感じ取ったのでしょうか、
それまでの穏やかな表情を変え、
厳しい口調で、はっきりと答えました。


もし私が日本の首相ならば、
打つべき手は、あります。
しかし、そのことを申し上げるよりも、
大切なことを申し上げましょう。

政治に、マジックは無い。

そのことを理解されるべきでしょう。


難しい問題に直面したとき、
いつも、このサッチャー氏の言葉を思い出します。

なぜなら、我々が困難な問題と格闘するとき、
その戦いの相手は、問題そのものではないからです。


マジックを求める、安易な心。


それこそが、本当の戦いの相手だからです。



2004年10月4日
田坂広志

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