2009年11月21日土曜日

マインドフル、ふたたび‐‐‐Eating Mindfully(星和書店)の訳者あとがきから

生きとし生けるものにとり、「食する」ことは生存をかけた根源的な行動といえます。原始的な生命体から人間に至るまで、食物を求めることは本能で規定されています。地球上で絶え間ない「食うか、食われるか」の営みを見れば、その厳しさは言わずもがなでしょう。自らの何倍も大きな動物を飲み込む爬虫類、食物を確保し繁殖に適した地をもとめ地球を一周近く移動する鳥類、昆虫を食する植物など、元来そこに存在するのは、生きるか死ぬかをかけた壮絶な姿です。食と食行動が、生物にとって根本的テーマといわれる所以はそこにあるといえます。
 さて人間も哺乳類の一種ですが、他と大きく違うのは、言語と思考能力を持ち、自我という概念で内的な世界を構築できるところにあります。加えて、遊び楽しむ能力を持つことも、人間の人間たる大きな要素であるといえるでしょう。フランスの文化史家ヨハン・ホイジンハは、人間を「ホモルーディエンス(遊ぶ存在)」と呼んでいます。この能力は、文化や文明を形成する基盤の一つになっているのです。
 こうした面から人間と食との関係を見ると、人間にとって「食する」ことは短に生命維持の本能的行動ではなく、遊び楽しむ側面があることは明白です。人間は食を文化とし、食をレジャーとしています。昨今のグルメブームを見れば、お分かりいただけることでしょう。さらに人は食をコミュニケーションの手段とし、社会的な儀礼として位置付けています。冠婚葬祭、晩餐会、歓送迎会など、食を囲んでさまざまな会話が弾み、長い歴史の中で培われ伝統として育まれている食もあります。また人は、食を健康管理のために利用し、さらには「食しないこと」で何かを伝えるすべさえ生み出しました。さまざま健康食ブーム(フードファディズム)や、ダイエット、さらにはハンガーストライキなど。これらはいずれも、大きな大脳連合野と前頭葉を持つ人間だからこそ可能になった、いわば「食にかかわる高次機能」といえましょう。
本書で指摘されているマインドレスな食事は、こうした「高次機能」を有する人間であるがゆえに生じうる顕著な例と言えます。過激なダイエットや気晴らし喰いといったマインドレスな食行動の裏には、人間特有の豊かで複雑な食との関係をすべて無視したり、過剰に支配しようとする傲慢さに満ちていたり、大切な人とのかかわりをも失ってしまう危険をはらんでいます。当然、本来の目的である栄養補給や健康な身体を維持するという役割をも蝕み、まるで心と体が、「人のようで人でないもの」に変わってしまう可能性があるのです。
本書が提唱するマインドフルな食事、マインドフルな食との関係は、もういちど人間らしさを取り戻し、人間らしい心、人間らしい体をよみがえらせる方法とも言えるのではないでしょうか。脳科学的にいえば、大脳辺縁系(本能)で食べるのではなく、また大脳皮質で過剰にコントロールして(考えすぎて)食べることでもありません。脳も体も十分稼動しつつ、かつそれらの発するメッセージを捉え、それに従い、今ここでの瞬間を実感しながら食べるということを、著者は推奨しています。これは、激流のごとき日常に生きるわれわれにとって、まさしく見失っているあり方かもしれません。本書は、単に健康な食をめざす自習書ではなく、心と体、思想と感情の4側面から、人間らしさを取り戻す指南書とも言えるのです。是非多くの方に読んでいただき、日々のストレスフルな生活の中で自分を取り戻すために、「マインドフルな食」を生かしていただきたいと、訳者の一人として切に願っています。

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